EXECUTIVE BLOG
2025.3.6
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 陸軍内部の 皇道派と統制派の話しでした。
陸軍と言えば 思い出すのが 二・二六事件です。
この 二・二六事件は 皇道派が起こしたのか???否か?? の話に
今日は進みます。
二・二六事件は、1936年(昭和11年)2月26日に起こった、
日本陸軍の青年将校たちによるクーデター未遂事件です。
彼らは政府の腐敗を正し、天皇親政の実現を目指して行動しましたが、
最終的には鎮圧された事件でした。
当時の日本陸軍には、大きく分けて
「皇道派」と「統制派」という2つのグループがありました。
皇道派は天皇のもとで軍が主導して政治を改革することを目指す急進的な派閥。
統制派は政府や財界と協力しながら、軍の力を強めて国を発展させようとする
現実的な派閥です。
事件を起こした青年将校たちは皇道派に近い考えを持っていましたが、
皇道派の上層部は直接関与していなかったようです。
これも 詳細を調べて見なければ分かりませんが、、、、。
二・二六事件が起こった背景には、いくつかの要因がありました。
その要因の一つが
世界恐慌の影響で、日本の農村は深刻な貧困に苦しんでいました。
地方出身の青年将校たちは、故郷の苦しい状況を見て危機感を募らせていました。
二つ目として考えられるのは、、
軍の一部では、政治家や財界の腐敗を批判する声が高まっていました。
青年将校たちは「天皇の周りにいる悪い政治家を排除しなければならない」と考えていました。
三番目の要因として
彼らは「昭和維新」として、新しい政治体制を築こうとし、
その手段として武力行動を選びました。
これらの事を要因として
1936年2月26日の未明、約1,400人の反乱軍が決起し、首相官邸や警視庁、陸軍省などを占拠する行動を起こしたのでした。
そしてその時に、内大臣の斎藤実、大蔵大臣の高橋是清、教育総監の渡辺錠太郎ら政府の要人を殺害してしまったのです。
この時の青年将校たちは、天皇が自分たちの行動を支持すると信じていました。
しかし、昭和天皇はこれを強く非難し、鎮圧を命じました。
陸軍内でも統制派が事態を収拾し、反乱軍は投降することになりました。
事件の後、皇道派は陸軍内で力を失い、統制派が主導権を握るようになりました。
これにより、軍は政府と一体となって戦争へと進み、
翌年の日中戦争(1937年)、さらに太平洋戦争(1941年)へとつながっていく事になりました。
反乱軍は、絶対に天皇は 青年将校の側に立つと信じていました、
その時の 青年将校の心中はいかに????
何故 天皇は??????
の話は
明日へ続く、、、。