
EXECUTIVE BLOG
2025.5.10
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
このブログは話があちこち飛びますが、
昨日までは 日清戦争から 三国干渉 日露戦争への流れの話しでした。
今日は 日清戦争の黄海海戦 日露戦争の日本海海戦への話しへと進む予定でしたが
昨日ビッグなニュースが入りましたね
それは ローマ教皇決定のニュースでした。 前にバチカンの話しを書きましたが
今日は改めて ローマ教皇選出に関する話に進みます、、、。
バチカンで行われる教皇選挙「コンクラーベ」には、世界中の注目が集まります。
その中でも特に象徴的なのが、
「煙」によって選挙の結果を知らせるという伝統だと思います。
システィーナ礼拝堂から立ち上る煙が黒色であれば「まだ決まっていない」、
白色であれば「新しい教皇が選出された」という合図ですね。
テレビやインターネットでこの光景を目にしたことのある人も多いでしょうが、
なぜバチカンはこのような方法を取るようになったのでしょうか??に
興味が湧きますね、
いつも言う様に常識に囚われずに その奥の理由を見る事で色々と面白い事が
わかります。
まず、「コンクラーベ」という言葉自体は、
ラテン語で「鍵のかかった部屋=cum clave」という意味を持っているのです。
これは、教皇が亡くなった後、後継者を選ぶために枢機卿たちが集まり、
外界から完全に隔離された状態で投票を行うという厳粛な儀式に由来しています。
13世紀から始まったこの習慣は、教会の権威を保つため、外部の政治的な圧力を排除する意図があったのです。
この教皇選出の投票の結果を“煙”で知らせるという方法が確立されたのは、
それよりも後のことなんですよ。
煙の使用は、実際には16世紀ごろから記録がありますが、
現在のように明確に
「黒煙=未決定」「白煙=決定」という色分けがされるようになったのは、
もっと後の近代になってからなのです。
煙で知らせるという発想は、非常に視覚的で分かりやすく、
特に昔のようにメディアも放送技術もなかった時代には、シンプルで効果的な手段でした。
ローマの市民や巡礼者たちは、システィーナ礼拝堂から煙が上がるのを広場から見上げ、
教皇が決まったかどうかを知る手段として利用していたのです。
遠くからでも見えるこの方法は、
音を使わずとも誰にでも伝わる「サイン」として優れていたのです。
さて、黒煙と白煙という色の違いがどうして生まれたのかについてですが、
もともと選挙後に投票用紙を燃やす習慣があり、その煙の色は燃やし方によって変わっていました。
黒煙は単に紙を燃やすだけで出る自然な煙の色であり、教皇がまだ決まっていないことを意味します。
一方、白煙を出すためには特別な薬品や素材を加えて、より明るく白い煙を出す工夫がなされました。
現在では、白煙には乳化剤や亜硝酸カリウムなどを加え、
明確に「白」とわかるよう調整されているのです。
逆に黒煙にはピッチ(タール)や石炭の粉を混ぜるなどして、濃い煙を作っています。
こうすることで、
信徒やマスコミが「どちらの色か分からない」と混乱しないように配慮しているのです。
実際、過去には「これは白か?黒か?」と議論になるほど曖昧な煙が上がったこともあり、それを改善するために化学的処理が発展していった経緯があるのですよ。
この煙の合図が正式に制度化されたのは、
1878年の教皇レオ13世の選出時以降とされます。
これ以前にも煙を使った例はありましたが、黒と白をはっきりと使い分けるようになったのはこの頃からだそうです。
そして20世紀以降になると、テレビや報道機関が注目するようになり、
煙の色が一層明確であることが求められるようになったと言うわけです。
この伝統を作ったのは誰か、という明確な記録はないようですが、
制度化の背景には教会内部の「透明性」や「一体感」を重んじる精神があります。
選挙結果を秘密裏に行う一方で、その結果はただちに全世界へと知らせる
しかも、派手な演出や長い説明ではなく、一本の煙でです。
それが教会のもつ簡素さと荘厳さを同時に表す象徴となっているのです。
システィーナ礼拝堂から白い煙が立ち上る瞬間、
サン・ピエトロ広場に集まった人々がどっと沸き立つ光景は、
信仰の一体感を表す美しい瞬間ですね、、、。
そこに宗教的意味だけでなく、
人間の営みとしての「待つこと」「見守ること」「共有すること」が込められているとも言えるではと思います。
この煙の伝統は、教会の長い歴史と工夫、そして信者たちとの静かな約束によって築かれてきたものなのですね、、。
明日もこの話は続く、、、、。