EXECUTIVE BLOG
2025.3.13
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 二・二六事件で暗殺された現場で その一部始終を目撃した 娘の渡辺和子さんの話しでした。
この事件を通して 彼女はどのようになったのか??
に 話は進みます。
1936年2月26日、日本を揺るがす大事件の二・二六事件が起こりました。
軍の青年将校たちが武装蜂起し、多くの政府高官を襲撃した事件です。
その中で、当時陸軍教育総監であった渡辺錠太郎もまた、襲撃を受けたのでした。
午前五時頃、反乱軍が渡辺家を襲撃し、
その時、まだ幼かった娘、渡辺和子は、
父の最期を間近で目の当たりにすることになったのです。
目の前で銃弾を浴び、血まみれになった父の姿は、幼い彼女の心に深く刻まれる事になります。
その瞬間から彼女の人生は大きく変わることになって行くのです。
渡辺和子はその後、恐怖と悲しみの中で育ったに違いありません。
目の前で起こった惨劇を忘れることは当然できませんでしたが、
母や周囲の大人たちは彼女を懸命に支えていたのです。
しかし、それでも和子の心には父を奪われた喪失感と、
日本という国への複雑な思いが残ったのでした。
彼女は成長するにつれ、
「なぜ父は殺されなければならなかったのか」
「人間が人間を憎み、殺し合うのはなぜなのか」と問い続けるようになったのです。
そんな思いを抱えながらも、彼女は学びを深め、成長していったのでした。
戦争を経験し、荒廃した日本の中で和子は、やがてカトリックの信仰に出会う事になりました。
キリスト教の教えに触れ、
「憎しみを超えて赦すこと」の意味を学んでいきました。
自分の目の前で殺された父の仇を憎むことではなく、
許すことの大切さを学ぶ事になりました。
そして彼女は、自らもその道を歩むことを決意する事にしたのです。
その後、彼女は教育者となり、
シスターとして多くの若者たちに「人が人を憎しみ、傷つけ合うのではなく、愛し合う世界」を説きました。
幼少期に経験した地獄のような現実を、彼女は決して忘れてはいませんでした。
しかし、それを憎しみの種とするのではなく、
平和のために生きる道へと昇華させていったのです。
渡辺和子の人生は、まさに悲劇から生まれた強さと愛の物語だと言えると思います。
彼女は父の死を悲しみながらも、憎しみにとらわれることなく、
むしろ人々を愛し、教育によって世の中を変えようとしたのです。
彼女の歩んだ道は、ただの歴史の一頁ではなく、
現代を生きる私たちにも大きな示唆を与えてると思います。
憎しみを超え、愛を持って生きること。その難しさと、そしてその美しさを、
渡辺和子の人生は私たちに教えてくれているのです。
シスターになった 渡辺和子は そのご 自身の教えを広める為に
どうしたのか???
は
明日に続く、、、。