EXECUTIVE BLOG
2024.6.5
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 戦国時代に日本に来た黒人が
その後 信長に見いだされ ポルトガル人とは違って その黒人を
自分の家来にして サムライとして接したと言う話でした。
信長には偏見などなく その能力で人を判断したのでしょう。
先日 アメリカの昔の映画で 雑用係として働いていた黒人女性が 白人以上の
才能があるのにも関わらず トイレは 白人と一緒のを使えず 3キロも離れた
黒人専用のトイレを使わされていたとかの内容に映画案内があってましたが
こんな事がおきていたなんて 酷い話です。
植民地時代の黒人の扱いは これ以上に酷かったのではと思います。
きっと 後に弥助と名のる この黒人は信長の為に最後まで尽くしたのではと思います。
この弥助の故郷が モザンビークなのですが
我々一般の日本人は アフリカの事となると あまり知らないと思います。
実は 遠く海を隔てて離れていますが 実は隣人と言われるくらい 今は
関係の深い国の一つとなっているのです。
もしかしたら 弥助の子孫がそう仕向けたのか??? なんて事はあり得ませんが
このモザンビークと日本の関係は 後ほどと言う事で
弥助と信長の関係をみて あるアメリカドラマを思い出しました。
見た事がある方は少ないかもしれませんが
そのドラマは 「ブラックリスト」 と言う 物語です。
ある白人の側近 用心棒的な黒人が 登場するのですが
どんなことがあっても この主役の白人の為に尽くす役を演じています。
自分が小さい時に この白人によって救われたと言う思いが
忠義を尽くすと言う感じなのですが
弥助も それまで酷い仕打ちを受けていたにも関わらず 信長が初めて
自分を同じ人間としてみてくれて 扱ってくれたことに恩義を感じたのではと思います。
もしかしたら モザンビーク人の気質に 日本人的な感覚があり 今では友好国に
なっているのかもしれません。
話しは 映画に戻りますが
アメリカ映画は 実は1950代まで 黒人が出演することはなかったかに聞いています。
たとえ 出てたとしても 主演などはあり得なかった時代です
今では モーガンフリーマンや ウィルスミス デゼルワシントンなど 堂々と主役を演じていますが
最初に映画に出た有名黒人俳優は シドニーポワチエでした
彼は、黒人俳優としての先駆者的存在で、黒人として初めてアカデミー主演男優賞を受賞したことで知られています。
ポワチエは、映画界において黒人俳優の地位を向上させた功績を持っています。
いつの時代にも それまでの常識を打ち破り新しい世界を開花させていく先駆者がいます。
そこになるまでは大変だと思います、、
日本も リーダー的存在だった 信長が何の偏見もなく黒人を対等に扱ったことが
その後の歴史に影響しているかもしれません
実は アメリカの黒人は日本人を尊敬していると言う話もあるのです
それは 何故か????
の話は
明日に続く、、、。