EXECUTIVE BLOG
2023.6.29
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 北海道の伊達市は
地名からも分かるように 仙台の伊達藩の関係者が移り住んだことから名付けられた
と言う話でした。
北海道は 明治になって 屯田兵などの開拓民が多く各地から入りましたので
それぞれの出身に馴染のある地名が残ったりしてますね、
先日の青森の話から 北海道の話に変わって 色々調べて行くうちに
今度は北海道のネタが次々出て来て なかなか前へ進めなくなってしまいました。
本来は 北海道にある 九州馴染のあの人とは?? の
話に進まなければなりませんでしたが
またまた話が逸れて今日は少し違うはなしから、、、。
私が北海道に行って最初に驚いたのは
JR北海道の列車のことを汽車と呼んでいた事です。
何故かを調べてみましたら
これには諸説があり、昔は蒸気機関車しか運転されていなかったため、
北海道に電車が導入される前から汽車とは、鉄道のことを指す言葉として定着しているそうです。
北海道は非電化区間が多く、車両は気動車が主流ですが、
電化区間を走行する電車でも汽車と呼ばれてる方が多いようです。
そういう私も古い人間ですので 地元福岡でも 九州新幹線の事を思わず
汽車と言ってしまう事があります。
他に食文化の面では、
本州では観られない独自の食材が数多く生活の中に浸透しています。
春の花見桜の下ではジンギスカンは定番となっているようです。
“ジンギスカン鍋”と言われる北海道独特の鍋で焼くジンギスカンの味は格別ですね、
また、数あるカップ麺の中で、“焼きそば弁当”が人気第一に挙げられているそうです。
所でこのジンギスカン鍋は、羊のお肉を焼いた料理なのに、なぜジンギスカンというのかにも興味が湧いてきますね
焼く鍋も変わった形ですし、なぜ専用鍋を使うのかも気になりますね。
ジンギスカンは、子羊の肉(ラム)・大人の羊肉(マトン)と一緒に野菜を焼いて食べる、日本の焼肉料理だと言う事は皆さんご存知かと思います。
「ジンギスカン」という名前の由来は、
モンゴルの「チンギス・カン」から取られたという説が有力だそうです。
ご承知の通り
チンギス・カンは、13世紀の始め頃にモンゴル各地の遊牧民をまとめ上げ、
「モンゴル帝国」を作り上げた皇帝ですね。
チンギズ・カンが率いた軍隊では羊肉を食べていたという説からジンギスカンという名称が生まれたと言われていますが
モンゴル料理にはジンギスカンのような料理はないので、そのイメージだけで
名付けられているようです。
他の面白い説としては、
源義経の伝説をもとに、駒井徳三という方が「ジンギスカン」とつけたという説があります。
源義経は平安時代末期の武将で数々の源平合戦で勝利したことで知られています。
また義経の兄である源義経は鎌倉幕府を開きました。
しかしのちに義経は、兄の頼朝によって奥州で討ち取られてしまいます。
ただ、実は義経は生き延びており、
北海道経由でモンゴルに落ち延びたという伝説もあるんだそうです。
そしてモンゴルで義経は「チンギスカン」と名乗ってモンゴル統一を果たしたと言うのです。
この駒井徳三と言う人は、「満州国」の初代総務丁長官で、
中国料理のカオヤンロウのことも知っていました。
そこから北海道の羊肉料理に、北海道に関係がある義経=チンギスカンということで、
ジンギスカンと名付けたとされていますが これは無理があるのではと思ってしまいます。
まあ しかし 北海道で食べるジンギスカン料理は本当に美味しいと思います。
他にも
北海道ならではと言うものがあります
それは 街中をみたらすぐに本州とは違うと思うものです
それは何か????
は
明日に続く、、、。