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社長&顧問ブログ

2025.10.15

スポーツの日

昨日までは

桃太郎と金太郎に関する話でした。

 

今日は 話が変わって

10月13日はスポーツの日の休日でした。

 

この日が休日になる話について、、、。

 

10月の青空に国旗がはためき、街にはマラソンや運動会の笑い声が響きます。

そんな「スポーツの日」は、私たちの体を動かす喜びや、

仲間と力を合わせる感動を分かち合う大切な日として知られています。

 

しかし、この祝日が生まれるまでには、

日本の戦後復興の歴史、そして世界中を感動させた一日がありました。

 

きっかけは1964年10月10日、東京オリンピックの開会式です。

戦後の焼け跡から立ち上がった日本は、わずか20年で奇跡の復興を遂げ、

世界にその姿を示すためにオリンピックの開催を決意しました。

 

高度経済成長の真っただ中、首都高速道路や新幹線が次々と完成し、

人々の心には

「もう一度、世界の中で胸を張って生きていこう」という希望が灯っていました。

 

開会式当日の東京は、雲ひとつない晴天でした。

秋の柔らかな日差しが国立競技場を包み、空には五色の風船が放たれ、

子どもたちの笑顔が弾けました。

 

この「晴れの特異日」は、後に“日本晴れのオリンピック”と語り継がれるほどです。

 

入場行進では、世界93か国の選手たちが胸を張り、

平和の象徴としてのオリンピック精神を体現しました。

 

最も人々の心を打ったのは、最終聖火ランナーの坂井義則さんでした。

彼は広島で原爆が投下された1945年8月6日に生まれた青年であり、

戦争の悲しみを乗り越えて平和を誓う日本の象徴として選ばれたのです。

 

彼が静かに聖火台に火を灯した瞬間、会場は静まり返り、

その後、万雷の拍手が巻き起こりました。

 

涙を流す人も多く、世界中が日本の復活を祝福しました。

 

この日、日本は「敗戦国」から「平和国家」へと生まれ変わったのです。

オリンピックをきっかけに、スポーツが持つ力が改めて見直されました。

スポーツはただの競技ではなく、

人と人を結び、努力や友情、平和への願いを形にするものだと気づかせてくれたのです。

 

その感動を忘れないために、政府は1966年に10月10日を「体育の日」と定めました。

目的は「スポーツを楽しみ、健康な心身を培うこと」。

 

単なる祝日ではなく、国民の誰もが体を動かし、

心を健やかに保つことを願う日となりました。

 

この日には全国の学校や地域で運動会が開かれ、

汗を流しながら笑い合う光景が日本の秋の風物詩となりました。

 

やがて、2000年に「ハッピーマンデー制度」が導入され、

祝日は10月の第2月曜日に移動しました。

 

これにより多くの人が連休を楽しめるようになり、

スポーツや旅行、家族との時間を通じて健康を育む機会が広がりました。

 

そして2020年、東京で再びオリンピックが開催されることが決まると、

この祝日は新しい時代にふさわしい名前へと変わります。

「体育の日」は「スポーツの日」となり、「体を鍛える」だけでなく、

「スポーツを通じて幸福と平和を実現する」という理念が込められました。

 

まさに、1964年のあの日の感動を次世代へとつなぐ象徴的な改名でした。

 

10月13日という日付は、毎年微妙に動きながらも、

あの東京オリンピックの記憶とともにあります。

 

人々が走り、跳び、笑う姿の背後には、過去の努力と希望が息づいています。

かつて瓦礫の中から立ち上がった人々が、再び世界と手を取り合い、

未来を描こうとしたあの瞬間を思い出すたび、

スポーツの持つ不思議な力を感じます。

 

勝ち負けを超えて、互いを認め合い、支え合う心。

限界に挑みながらも、仲間と笑い合う瞬間。

それこそが、スポーツが人間に与えてくれる最大の贈り物なのです。

 

今では、スポーツの日は単なる休みではなく、

一人ひとりが「健康」「努力」「感謝」を思い返す日として大切にされています。

体を動かすことができること、仲間と笑い合えること、

それ自体が幸せであると気づく日でもあります。

 

10月の澄んだ空を見上げながら、私たちはあの日の聖火の炎を思い出します。

平和の願いを胸に灯し、心と体を健やかに保ちながら、次の世代へとつないでいく。

スポーツの日は、過去と未来を結ぶ日本の希望の記念日なのです。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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