EXECUTIVE BLOG
2024.6.15
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
論語の中にある
「知られるを知るとなし知らざるを知らずとせよ これ知るなり」
の話でした。
これは
知らないことは知らないとすることが、真に知ることにつながるということです。
この言葉は、学習と経験が人々を豊かにすることを示していますね、、
もっと色々学ばなければと思ってしまいます。
今日は この孔子の言葉に続いて ギリシャのソクラテスの言葉で
不知の知 についてです。
ソクラテスは孔子と同様のことを唱えていました。
それが「不知の知」または「不知の自覚」と呼ばれる考え方です。
「自分は何も知らない」ということを自覚している人間こそが最も賢い、
というものです。
これはソクラテスの実体験に基づいた気づきだったのです。
当時のギリシア人には、何か問題があれば神託所へ赴き、神官からアドバイスをもらうという習慣がありました。
ある日、ソクラテスの友人が神託所を訪れ、
「ソクラテスよりも賢い人はいますか?」と相談したところ、
「彼よりも賢い人間はいない」という神託が下りたそうです。
その神託を耳にしたソクラテスは、「自分が一番賢いはずがない」と大層驚きました。
ソクラテスは、自分には知らないことが色々あると感じていたからです。
そこで実際に賢い人と対話をして確かめてみようと思い、
政治家をはじめとする知識人に討論を挑んだのです。
ソクラテスはこのときの知識人との問答を通して
3つの気づきを得たのです。
それは、、、、
「知識」があることと「知恵」があることは違う
知識人は、実際は知らないことについても「自分は知っている」と思い込んでいる
ソクラテスは、「自分には知らないことがある」ということをきちんと自覚している
これらを踏まえて神託の意味を考えたソクラテスは、
「自分は何も知らない」ということを理解しているものこそ、
人として最も賢いのだと悟ったそうです。
「不知の知」に至ったわけですね。
他にも論語の中に
「吾は老農に如かず」 と言う言葉があります。
これは
自分は老農夫に及ばないので、農業についてはベテラン農夫に聞いてほしい、
という趣旨の言葉です。
孔子は自身の農業知識が専門家に及ばないこと、
つまりは「農業について知らないことがある」ということを自覚していたのです。
孔子とソクラテス。
ほぼ同時代に、世界の東と西で似たような考え方が出ている点は、
とても興味深く感じます。
ここで
又興味が湧いてくることがあります
その昔に 孔子やソクラテスが居たのであれば
現代には 孔子のような人は居ないのか??? と言う事です
これらの話は
明日へ続く、、、。