EXECUTIVE BLOG
2023.3.31
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
国葬に関する話から
日本人で、外国で国葬された人物4人の話になりました。
その四人の人達は 滞在した国で一生懸命お役に立つ仕事をした結果
その国から認められ 最後、 亡くなったあとには 国葬をもって
敬意を表されたのでした。
昨日書きました 宮崎淳さんは 大分県の職員の職を辞して
トルコで起きた大震災の救援の為に トルコに行き
献身的な働きをすることで 地元トルコ人からも感謝され
亡くなられた後は 国葬になり 更には トルコ国内に 銅像迄建立されるほどの
方でした。
日本人で海外に銅像迄建立された人は どのくらい居るのか?にも
興味湧きますね
それで 調べてみましたら ある国において 同一人物の日本人の銅像が
複数建立されてた方がいました。
その人は 誰か??? については 後に書かせて頂きますが。
宮﨑さんが救援に入ったトルコは 親日国としても知られていますね
日本とトルコの交流の歴史は古く、
最初の交流は1873年にさかのぼります。
この当時フランスに滞在中だった岩倉使節団が、立会裁判諸制度の視察にイスタンブールを訪問したのが最初の交流だそうです。
岩倉使節団とは岩倉具視が率いていた総勢107名もの使節団で、
大久保利通や伊藤博文といったそうそうたるメンバーも加わっていました。
以降、日本はトルコに度々訪問を重ね、
当時の外相や皇帝等とに謁見するなど交流を図ってきてました。
日本とトルコの交流がさらに積極的になったきっかけは、
1890年に起こったトルコ船の遭難事件ですね。
この当時の日本の行動により、
トルコとの絆は一層強まったと言われています。
現代に至っては日本国内に多くのトルコ友好協会が存在しているほどなのです。
トルコ友好協会はトルコに関心が高い人やトルコが好きな人が集まり、
交流を図るイベントなどに力を入れています。
この協会は
日本とトルコの芸術や文化、スポーツなどを取り上げるイベントなどを開催し、
両国の親睦を深めているようです。
昔のブログにも書きましたが
トルコ船の遭難事件の話を
おさらいで 書かせて頂きますと
その内容は????
明日に続く、、、。