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社長&顧問ブログ

2023.3.30

トルコの英雄 宮崎淳さん

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは

我々が国葬されるのに 国内では殆ど無理ですが

外国の国で その国の発展の為に寄与したら

その国で国葬に慣れる可能性があるというはなしでした。

 

簡単には言えますが それは もしかしたら国内にいる以上の

努力が必要なのです。

 

今日は 4人の海外で国葬された方中で

最後のおひとりの話です。

 

その人物は

NPO法人「難民を助ける会」の職員だった、宮崎淳さんです。

 

宮﨑さんはトルコではヒーローと呼ばれています。

 

何故彼はそう呼ばれるようになったのか? ですが まだまだ記憶に新しい

2011年の 東北大震災の時の大分県職員時代に

親日国であるトルコから 救援隊の活動を彼は知る事になり

何故 こんな異国の地で 献身的に救援活動ができるのか? と感心し

 

その後 県職員を辞して 難民を助ける会に所属することにして

今後 トルコでも同じような事があれが 自分が真っ先に駆け付けようと

考えていたのです。

 

その矢先の 2011年の10月にトルコで大震災が起きたことで

彼は 直ぐに行動に出たのでした。

 

都市部は物を奪い合うほどの惨状でしたが なんとか各国の救援隊がきて

活動出来ていたようですが

彼は 全く救援が来ない 山間部で救援活動をすることにしたのです。

 

しかし その地は イスラム教徒が多く住む地帯だったのですが

彼は そのイスラム教の人達に寄り添い 必死で救援活動を続けていたのです。

 

この時の宗教を理解し尊重する心のこもった行為が

地元メディアで報道されて、トルコでは 宮崎さんを知らない人は

居なかったと言われています。

 

しかし 彼はこの活動の途中 再び起きた地震により 自らの

命を落としてしまったのです。

 

この事で 彼は トルコで国葬されることになり

今では 学校や 公園などに

宮﨑淳さんの 名前が付けられ 銅像も建てられているのです。

 

宮﨑さんの事を知っている多くのトルコ人は

又 日本で災害が起きた際は 自分たちが今度は救援に行くと

語っているそうで

 

日本とトルコの絆の強さを感じてしまいます。

 

このような 立派な日本人である宮崎さんを私も尊敬いたします。

日本とトルコの絆と言えば これは多くの方が

ご存知かもしれませんが

明治に遡った時に 結ばれたある出来事がありましたね

 

明日は

その話に なるのか???

 

続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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