
EXECUTIVE BLOG
2025.11.30
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
本日は ペリュリュー島がある パラオの話に続きます、、、。
パラオという国は、
世界の中でも特に強いレベルで親日国と評価されますが、
それは単に日本が好きという軽い意味ではなく、
歴史、文化、人間同士の交流、
そして「誠実さへの信頼」が長い時間をかけて積み重なった結果として
自然に生まれた深い親日感情です。
パラオの人たちは日本人を見ると笑顔で迎え、丁寧に接し、
観光客に対しても特別に優しい態度を向けてくれますが、
そこには明確な理由があります。
まずパラオが親日国と言われる第一の理由は、
日本統治時代(1914〜1944)の記憶が他の植民地統治と比較しても
非常に好意的であることです。
パラオは第一次世界大戦後、国際連盟の委任統治領として約30年間日本の統治下にあり、この時期に道路や学校、病院、上下水道といった社会インフラが整備され、
農業・漁業・行政・教育など生活の基盤が日本によって大幅に整えられました。
特に教育面では日本語学校が整備され、
多くのパラオの若者たちが読み書き計算を学び、社会全体の識字率が向上しました。
その結果、現在の70〜90代の高齢者の多くは流暢な日本語を話し、
当時を「日本人は規律正しく働き者だった」「暴力や圧政を感じることは少なかった」
「全体的に悪い時代ではなかった」と語る人が多く、
これが現在も親日感情の大きな土台になっています。
第二に、戦時中であっても日本軍とパラオの住民の間に
比較的良好な関係があったという事実が挙げられます。
もちろん戦争は悲惨で、特にペリリュー島の戦いは太平洋戦争屈指の激戦でしたが、
パラオ本島やコロール島では
日本兵と地元住民が互いに助け合った記録が多く残っています。
住民が日本兵を匿ったり、日本兵が住民を守ったりした話が語り継がれ、
中には日本軍の混乱から女性を守るために
パラオの有力者や女性たちが奔走したという心温まるエピソードもあります。
こうした戦時下での人間同士の信頼と助け合いが
今も強い親日感情として残っているのです。
第三に、パラオと日本は文化的相性が非常に良いと現地の人が口を揃えて語る点です。
両国には「長幼の序を重んじる」「礼儀を大切にする」「争いを避けて調和を求める」
「共同体を大切にする」といった価値観の共通点があり、
日本人の落ち着いた態度、礼儀正しい立ち振る舞い、
環境を乱さず穏やかに接する姿は
パラオ人にとって自然に好感を抱けるものになっています。
こうした文化的な親和性は、政治や経済を超えた深い信頼関係につながっています。
第四に、戦後の日本の支援が非常に誠実だったことも大きな要因です。
パラオが独立した後、
日本は経済支援やインフラ整備、技術協力、医療や教育の支援を継続し、
その象徴となっているのが「日本=パラオ友好の橋(KBブリッジ)」です。
この橋は一度崩落した後、日本が無償で再建し、
その誠意と責任ある行動にパラオの人々は深く感謝しています。
橋はパラオの暮らしを支える重要な存在であり、
「日本は困った時に必ず助けてくれる国」という強い信頼が生まれました。
第五に、2015年の天皇皇后両陛下(当時)のパラオ慰霊訪問は、
パラオ国民の心を大きく揺さぶった出来事でした。
ペリリュー島で両陛下が戦没者の慰霊を丁寧に行われた姿に、
多くのパラオ住民が涙を流して日の丸を振り、
「日本は戦没者を敬い、敵味方なく魂を大切にする国だ」として深い敬意を抱きました。
この出来事はパラオ全土に感動を与え、親日感情をさらに高める大きな契機となりました。さらに、日本人観光客への評価の高さも親日の大きな理由です。
観光業が主要産業であるパラオでは、
現地スタッフが
「日本人はマナーが良い」「自然を汚さない」「ルールを守る」「文化を尊重する」
と口を揃えます。
他国の観光客と比較しても日本人は非常に丁寧で、安心して接客できると言われ、
これがまた好感度として積み重なっています。
また、パラオでは高齢者が今も日本語を話し、
日本人観光客と笑顔で会話する姿が日常的に見られ、
自治体同士の姉妹都市関係や学校交流が続いているなど、
草の根レベルの友好が絶えず積み重なっています。
このようにパラオの親日感情は、
歴史上の記憶、戦時中の小さな助け合い、文化的な相性、戦後支援の誠実さ、
そして日々の人間同士の交流が複雑に絡み合って生まれている
「感情としての親日」です。
パラオの人々は日本を「信頼できる国」「誠実な国」「約束を守る国」と感じ、
日本人は「礼儀正しく、他者に敬意を払う人々」と認識されています。
こうして長い年月を経て築かれた心のつながりこそが、
パラオが世界屈指の親日国と呼ばれる本質なのです。