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社長&顧問ブログ

2025.9.28

ビルマからミャンマーへ

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 日本に来ている外国人労働者の話しでした、、

アジア各国から多くの人が来ています

 

その中でも ミャンマーですが この国は 昔ビルマと言ってました。

私は ミャンマーより ビルマの方が馴染んでいるのですが

なぜ 国名が変わったのかの話に 今日は進みます、、、。

 

ビルマが「ミャンマー」という名前に変わった経緯を理解するには、

国の独立と軍事政権の成立、

さらに旧日本軍の影響まで遡って見ていく必要があります。

 

ビルマは19世紀にイギリスの植民地となり、

長らく「英領ビルマ」と呼ばれていました。

 

第二次世界大戦が勃発すると、

この地域は日本にとって戦略的に重要な場所となりました。

1942年、日本軍はビルマへ進駐し、イギリス軍を追い出しました。

このとき、後に独立の父と呼ばれるアウン・サン将軍は、

日本の支援を受けて「ビルマ独立義勇軍(BIA)」を結成しました。

 

アウン・サンら青年将校たちは

日本軍の後押しを利用して独立の足がかりを作ろうとしたのです。

 

1943年には日本の支援のもと、ビルマ国が独立を宣言し、

バー・モウが首相となりました。

 

形式上は独立でしたが、実態は日本の影響下にあり、

真の主権国家とは言い難いものでした。

そのためアウン・サンは次第に日本軍に不信を募らせ、

1945年には日本を離反し、

反ファシスト人民自由連盟を結成して連合国側に立ちました。

 

こうした経緯が、戦後のビルマ独立の正統性に大きく影響したのです。

 

つまり、日本軍はビルマ独立運動に一時的な道を開いたものの、

その独立は従属的なものであり、

真の独立はイギリスからの完全な離脱と戦後交渉を通じて初めて実現しました。

 

戦後、ビルマは1948年に正式にイギリスから独立しました。

しかし、民族の多様性と政治的分裂がすぐに問題となりました。

 

最大民族のビルマ族と、カレン・カチン・シャンなど少数民族との対立が激化し、

各地で武装闘争が広がります。

さらに議会政治も混乱し、政党の対立や経済不振が続きました。

 

この混乱の中で、1962年にネ・ウィン将軍率いる軍がクーデターを起こし、

軍事政権を樹立しました。

 

以後、社会主義路線をとり、経済を統制しましたが、

結果として経済は停滞し、国民生活は困窮しました。

 

1980年代には物価の高騰と失業問題が深刻化し、国民の不満が高まりました。

特に1987年には突然の通貨無効化措置によって国民の財産が失われ、

怒りが爆発します。

そして1988年8月8日に大規模な民主化要求デモ、

いわゆる「8888蜂起」が全国で起こりました。

 

学生や僧侶、市民が街頭に出ましたが、軍は武力で鎮圧し、多数の犠牲者を出しました。

その後、軍は「国家法秩序回復評議会(SLORC)」を設立し、徹底的な統制を敷きました。こうして軍事政権が再び国家を掌握し、強権的支配を固めたのです。

 

その直後の1989年6月18日、

軍政は「Adaptation of Expressions Law(表現調整法)」を公布しました。

この法律によって英語表記での国名は “Burma” から “Myanmar” に改められ、

同時に Rangoon を Yangon にするなど、

多くの地名もビルマ語発音に近づけられました。

 

軍政はその理由として、植民地時代の遺産を払拭する象徴であること、

多民族国家としてビルマ族中心の「Burma」ではなく

包括的な「Myanmar」を用いるべきこと、

英語表記をビルマ語発音に近づけることを挙げました。

 

しかし実際には「Myanmar」もビルマ族に由来する呼称であり、

中立的ではないという批判もあります。

さらに、この改名は軍政が一方的に決定したため、

民主化勢力や少数民族からは強い反発がありました。

 

国際社会の対応も分かれました。

国連は早い段階で「Myanmar」を承認しましたが、

アメリカやイギリスは軍事政権の正当性を認めず「Burma」を使い続けました。

報道機関も立場が分かれ、

長らく「Burma」を使っていたBBCも2014年に「Myanmar」へ切り替えるなど、

各国・各機関の政治的姿勢を反映する呼称の選択が続きました。

アウン・サン・スー・チーは「外国人はどちらを使ってもよい」と述べたことがあり、

この問題の複雑さを示しています。

 

まとめると、ビルマがミャンマーへと名前を変えたのは

1989年ですが、

その背景には植民地支配の歴史、旧日本軍の影響下での一時的な独立経験、

戦後の民族対立と政情不安、軍事政権の強権的支配といった要素が絡み合っています。

 

旧日本軍は一時的に独立を与えたものの、

真の自立には至らず、その後の歴史の中で

「独立」と「従属」のはざまに揺れるビルマ人の記憶として残りました。

 

そして軍政が選んだ「Myanmar」という呼称は、単なる言葉の置き換えではなく、

歴史と政治の複雑な象徴となり、

今なお国際政治や国内対立の中で重い意味を持ち続けているのです。

 

ただ ミャンマーは親日国とも言われています 本当にそうなのか?

なぜそう言われているのか???

 

の話は、、、

 

明日へ続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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