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社長&顧問ブログ

2025.1.21

ポリネシア人

高光産業株式会社 妹尾八郎です。

昨日からの続きです。

 

昨日までは

太平洋電子通信協議会の会議で ハワイに来ていると言う話でした。

そもそもこの組織は 世界の大手通信 IT企業が参加しておる会議でしたが

そこに 中小企業にも門戸を開くべきだとの意見を申し上げ

日本員会の中に 中小企業を中心とした イノベーション交流会を立ち上げる事になったのです。

 

思い返せば それから 10年目になります。

いつも言っていますが 最初に何かを始める 立ち上げる事は 本当に大変です。

 

これまでにも Facebook三田会を立ち上げたり 日本聴き酒協会

日本ラジオパーソナリティ協会などを立ち上げて行きました

 

エネルギーは使いますが その組織がやがて大きな組織となって行き

社会の役に立って行けば良いなといつも考えております。

 

で 今回の ハワイでの会議の話は 又後日と言う事で

 

日本人の多くが行く ハワイについての話に進みます。

 

日系人も多数住んでいて馴染の深いハワイですが

その歴史などをご存知の方は少ないかもしれません、、、。

 

ハワイを最初に発見し、定住したのは約1500年前のポリネシア人でした。

彼らはカヌー航海術の達人であり、星、海流、風を読み取りながら広大な太平洋を航海していたと言うのですから 驚きですよね、、

 

このポリネシア人は現在のタヒチやマーケサス諸島から移住してきたとされています。

彼らは星座や鳥の動き、波のパターンを頼りに、大型のカヌーを用いてハワイまでたどり着いたのです。

ハワイに到着したポリネシア人は、タロイモの栽培や養魚池の建設など、

自然と共生する生活を営み、ハワイの文化の基盤を築きながら、

ハワイは人が住む島となり、独自の文化と社会が形成されていったそうです。

その後

ハワイが西洋人の地図に登場したのは、

1778年に皆さん名前は聞いた事があるかと思いますが、

イギリスの探検家ジェームズ・クック船長が訪れたときです。

 

クック船長は、航海中にハワイ諸島を当初「サンドウィッチ諸島」と名付けていたのです、これは、イギリスのジョン・モンタギュー第4代サンドウィッチ伯爵にちなんだものだと言われています。

初めはハワイ先住民と友好的な関係を築きましたが、

後に対立が生じ、クックはハワイ島のケアラケクア湾で命を落としました。

ただ

クックの訪問以降、ハワイは西洋の地図や文献に広く記録され、

交易や移住の対象として注目されるようになったのは事実で

その功績は称えなければならないのかと思います。

 

所で ハワイ州の 州旗を見た事があるでしょうか?

 

あれを最初見た時に 非常に違和感を覚えました、

 

それは何故か????

 

の話は

 

明日へ続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/