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社長&顧問ブログ

2025.5.22

ミラノ勅令

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは

全ての道はローマに通ずと言う言葉があるのですが

では

シルクロードはローマに通じているのか?と言う話でした。

 

今日は 又ローマの話しで キリスト誕生以前のローマの宗教の話になります、、、。

 

ローマと言えば、今ではローマ法王庁がある場所であり、

カトリックの総本山として知られていますが、

もともとローマはまったく別の宗教を持つ世界でした。

 

キリストが現れる以前のローマは多神教の社会であり、

たくさんの神々が人間の生活を支配していると信じられていました。

戦争の神マルス、愛の女神ヴィーナス、空と雷の神ユピテルなど、

それぞれの神が担当を持ち、

日常のあらゆる出来事に神の影響があると考えられていました。

 

ローマ人は神々を敬い、神殿を建て、祭りや儀式を通じて感謝と願いを表していました。

また、ローマ皇帝も神としてあがめられるようになり、

特にローマ帝国の時代には皇帝を神格化し、

民が皇帝を礼拝する「皇帝崇拝」が国の秩序を保つために利用されていました。

 

このように、宗教と政治が一体となった社会だったのです。

そんな中、紀元1世紀ごろにユダヤ地方でイエス・キリストが登場します。

 

キリストは、神は唯一であり、全ての人が神に愛されていると説き、

特に貧しい人、弱い立場の人々に向けて希望の言葉を与えました。

神の前では誰もが平等であり、悔い改めれば救われるという教えは、

多くの人の心をつかみましたが、

一方でローマ当局にとっては非常に都合の悪いものだったのです。

 

キリスト教は唯一の神しか認めず、他の神々や皇帝を拝むことを拒否しました。

そのため、ローマではキリスト教徒は危険な反体制分子とみなされ、

秘密裏に信仰を続けるしかありませんでした。

 

多くの信者が迫害され、投獄されたり処刑されたりすることもありました。

それでもキリスト教は地下で広がり続けました。

なぜなら、その教えが当時の社会において心の支えを必要とする人々にとって

大きな希望だったからです。

 

差別されていた人や病人、奴隷などに「あなたは神に愛されている」と語りかけ、

死後に救われると説いたキリスト教は、社会の底辺に生きる人々にとって光でした。

また、

信者たちの行動も多くの人に感動を与えました。

 

疫病が流行したとき、他の人々が逃げる中、キリスト教徒は病人の世話をし、

敵にも慈しみの心をもって接しました。

さらに帝国全体に広がるローマの道路網や交易ルート、兵士の移動などが、

結果としてキリスト教の伝播を後押ししました。

こうして広まったキリスト教が、ついに公に認められるきっかけとなったのが、

313年のミラノ勅令です。

 

これは皇帝コンスタンティヌスが出した法令で、

キリスト教の信仰を公に認めるものでした。

それまで命がけで信仰していた人々は、堂々と礼拝できるようになったのです。

 

なぜコンスタンティヌスはキリスト教を認めたのか???、

その理由には宗教的な体験と政治的な計算があると考えられています。

彼は戦いの中でキリストの印を見たという話があり、

それが勝利に結びついたと信じたとも言われています。

 

また、帝国内に広がっていたキリスト教徒を味方につけることで、

国を安定させようと考えたとも言われます。

その後、392年には皇帝テオドシウス1世がキリスト教をローマ帝国の国教に定めました。

 

もはやローマは多神教の国ではなく、キリスト教の国となったのです。

かつて神々が祀られていた神殿の多くは、教会へと姿を変えていきました。

このようにして、もともと多神教だったローマは、

長い時間を経て一神教であるキリスト教を受け入れ、その中心地となっていきました。

ローマがキリスト教の中心となるには、

多くの迫害と困難、そして信者たちの信仰の力がありました。

 

今日、ローマが「信仰の都」として世界に知られている背景には、

このような歴史の流れと人々の強い思いがあったのですね、、。

 

で ここで新たな興味が湧いてきますね

それは、 それまでの多神教の信者たちは 一夜にして 迫害する立場から

迫害される立場になったのか???? です、、、、

 

この話は

 

明日へ続く、、、。

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