EXECUTIVE BLOG
2024.12.3
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 第二次世界大戦後 ドイツと日本において
軍事裁判が行われた話でした。
ここで 多くの戦争犯罪人が処刑されましたが
この裁判で 大きな争点になったのが 平和に対する罪 でした。
この罪は 戦後占領軍によってつくられた罰則でしたから
法律で言う所の事後法 と言う事になり 本来であれば罰する事が出来ないのです。
簡単に言うと 今日まで我々は平気でコーヒーを飲んでいますが
明日突然 珈琲は麻薬と同じだから 飲んだ者は罰すると言う様なものです。
法律が出来てこそ 罰則になるのですが 法律が出来る前の行為は罰せられないのが当然ですよね
これを 連合国は無理やり事後法でもって 多くの人を処刑に追い込んだのでした。
判事の中にもこれはおかしいと異を唱えた人が居ましたが
連合国は どうしても戦争犯罪人として処罰したかったのか 押し切りました。
ドイツと日本で 行われた軍事裁判ですが
あれっと 思う方もいるかもしれませんが
第二次世界大戦の時に 歴史で習ったのは 日独伊三国軍事同盟を結んでいましたね
であるならば イタリアでも 軍事裁判は行われたのか? といいますと
イタリアでは軍事裁判は行われていないのです
そんな馬鹿な と思うかもしれません
その説明の前に、、、、、
第二次世界大戦を引き起こし、世界を恐怖のどん底に落としたヒトラーの印象があまりにも強すぎて、
ファシズムという政治体制はヒトラーが一から作り上げたように錯覚してしまいますが、
そうではないんです!
実は
ファシズムを最初に作り上げたのはイタリアのムッソリーニという政治家だったのです。
ムッソリーニはファシズムにおいてヒトラーの先輩になるのです。
ムッソリーニは世界史の教科書に必ずでてくる人物ですね、、。
しかし 多くの日本人にとって、ヒトラーほど強烈な印象はなく
ナチスドイツの仲間だったんでしょ?程度の印象しかないかもしれません。
しかし、それは間違った印象なんです。
ムッソリーニには世界史で名を残すに値する、イタリアの巨魁なのです。
ムッソリーニと同時代を生きた、ローマ・カトリックの教皇ピウス11世はムッソリーニのことを「イタリアを救うために神から遣わされた人物」と評しているのです。
第二次世界大戦でイタリアの敵国関係になったアメリカのローマ駐在大使だった人からは「同時代のイタリアでもっとも偉大な人物」と評されていました。
また、イギリスの首相を務めたウィンストン・チャーチルは「ローマの天才」と称えました。
ムッソリーニは自身が政治をしていた時はいわゆる独裁者でしたが、
他国からはこのような称賛があったのですよ。
第二次世界大戦ではドイツとイタリアそして日本は同盟を組んでいました。
第二次世界大戦を引き起こしたのはヒトラーですね、、
ヒトラーはドイツ国内をナチ党の一党独裁で治めた圧倒的であり絶対的な独裁者でしたが、
そのヒトラーが見本にして、尊敬して師とまで仰いだ人物こそムッソリーニだったのです!
ヒトラーはあくまで、ムッソリーニが作り上げたファシズムを真似て、やがて自分色に染めていったのでした。
ファシストと言う言葉で 諸悪の根源のような感じを受けますね
そして このイタリアも ナチスと手を組み やがて日本とも手を組み
戦争へ突入していくのです、、、、、
だったら このイタリアも連合国の敵だと言う事になりますね
それなのに 何故 ドイツや日本の様に 軍事裁判が行われなかったのか???
戦争犯罪人は処罰されなかったのか????
それどころか イタリアは実は、、、、、、、、、、!!
あっと驚く話しは、、、、
明日へ続く、、、、。