EXECUTIVE BLOG
2024.6.4
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 信長に仕えた 弥助の話しでした。
彼は 宣教師の奴隷として 日本に来ましたが、
信長に仕える事で 奴隷では なく 日本では身分の高い 士分として
働くのです。
信長と最後まで行動を共にして 本能寺の変の時も 一緒に居たらしいのですが
その後の足取りははっきりしていないそうです。
故郷モザンビークに帰ったのでは?という説もあるようです。
現代でも飛行機を乗り継いで丸一日かかりますから、
現実的にはちょっと無理な気もしますが……
故郷を思う気持ちが彼を支えたかもしれません。
その説の根拠としては
モザンビークにある「キマウ」という現地の衣装が、日本の着物によく似ているから、
というものなのです。
もし弥助が日本の着物を持ち帰って伝えたのだとしたら非常に面白い話ですが、
そもそも キマウが 現地の衣装なのか? は 私は分かりません。
モザンビークに行った事がある方がどのくらい居るのかとも思ってしまいますが
意外にも 日本との関係は 今では深いようです。
このモザンビークは 独立したのが1975年ですから それまではポルトガルの植民地
だったと言う事です。
日本で言えば 昭和50年ですよね、
それまで植民地だったと言う事も驚きです、、、。
この1975年に 日本はモザンビークと国交を結んでいますが
実は この国との関係は 古く、
1586年から翌87年に日本からローマに送られた使節団が、
その帰路にモザンビーク島を訪れ、半年ほど滞在した記録が残っているそうです。
ただ 本能寺の変は 1582年ですから この時の関係で弥助が日本に来たこととは
関係なさそうです。
モザンビークは現在親日国のようです
弥助の故郷の モザンビークにも興味が湧いてきます
機会あれば行ってみたいとも思ってしまいます
このモザンビークとの関係の話は
明日に続く、、。