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2025.4.30

モンマルトルの先駆者達

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

 

昨日までは パリの中でもモンマルトルに芸術家が集まる話でした。

 

どんなものにも最初がありますが

このモンマルトルを最初芸術の拠点にした人もいたはずです。

今日は この話に続きます、、、。。

 

パリのモンマルトルといえば、今でも「芸術の丘」として世界中に知られています。

白亜のサクレ・クール寺院がそびえ、石畳の坂道や小さなカフェには画家たちの姿が絶えません。

しかし、もともとモンマルトルは、単なる田舎の丘にすぎませんでした。

では、なぜこの場所が芸術家たちの聖地となったのでしょうか??。そして、

その流れを作った先駆けの芸術家とは誰だったのでしょうか。

 

19世紀半ば、パリは急速に都市化を遂げていました。

ナポレオン三世と都市計画家オスマンによって街の大改造が進み、

パリ中心部は整然とした大通りと洗練された建物に生まれ変わりました。

その一方で、都市の周縁部に追いやられた貧しい人々や、伝統的な生活を好む人々は、

徐々に中心地から離れた場所に移り住んでいきます。

 

モンマルトルもその一つでした。

当時のモンマルトルは、まだ農地が広がり、ぶどう畑も点在する田園地帯だったのです。

パリの中心からはわずか数キロの距離でありながら、

生活費は安く、自由な空気が漂っていたのです。

 

この「生活費が安い」「自由で干渉されない」環境こそ、

若い芸術家たちを引き寄せた最大の要因となったのです。

彼らは貧しく、自由を愛し、既存のアカデミズムに反発する心を持っていました。

そんな彼らにとって、モンマルトルは理想郷と感じたのだと思います。

 

では、最初にモンマルトルに芸術の風を吹き込んだのは誰だったのでしょうか??。

 

代表的な先駆者の一人が、画家ジャン=バティスト・カミーユ・コローだと言われています。

コローは19世紀中ごろ、自然と光の変化を大切にした風景画を描き、後の印象派に大きな影響を与えました。

彼自身はモンマルトルに常駐したわけではないそうですが、

その周辺での制作活動や、自由な感性が若い画家たちにインスピレーションを与えたのではと言われています。

そして

より直接的に「モンマルトルに芸術家の村を作った」といえるのは、

エドガー・ドガやピエール=オーギュスト・ルノワール、

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックたちです。

 

ドガはバレエの舞台裏を、ルノワールは日常の何気ない幸福を、

ロートレックはキャバレーや酒場に集う人々を、それぞれ生き生きと描き出しました。

彼らは、モンマルトルの自由な空気に魅了され、ここを制作拠点としたのです。

 

中でも特にモンマルトルの象徴的人物となったのが、トゥールーズ=ロートレックだと言われています、

彼は裕福な家庭に生まれながらも身体に障害を持ち、

社会の主流から距離を置いて生きることを余儀なくされました。

そんな彼が選んだのが、モンマルトルの酒場やキャバレーという、

当時のパリでも最も自由で奔放な世界だったのです。

ロートレックは、モンマルトルの有名なキャバレー「ムーラン・ルージュ」のポスターを数多く手がけ、独自の鮮やかでダイナミックな画風を確立しました。

彼の存在によって、「モンマルトル=自由な芸術の発信地」というイメージが決定的なものになったと言われています。

 

さらに忘れてはならないのが、フィンセント・ファン・ゴッホです。

ゴッホは1886年から1888年までパリに滞在し、その間モンマルトルにも暮らしていました。

兄のテオとともに過ごした日々、ゴッホは印象派や新印象派の画家たちと交流し、

色彩表現を飛躍的に進化させました。

 

ただ当時、ゴッホはまだ無名で、絵もほとんど売れず、生活は困窮を極めましたが、

モンマルトルの光と空気は、彼の芸術に大きな影響を与えたのです。

ゴッホが描いたモンマルトルの風景画には、まだ田舎の面影を残す丘と、

広々とした空が生き生きと描かれていますね。

 

このように、コローに始まり、ドガ、ルノワール、ロートレック、そしてゴッホといった芸術家たちがモンマルトルに集ったことで、

「芸術家の丘」としてのモンマルトルの伝説は形作られていきました。

彼らが生み出した独特の空気感は、さらに次の世代の芸術家たち、、

パブロ・ピカソ、アメデオ・モディリアーニ、モーリス・ユトリロたちへと受け継がれ、

20世紀初頭には世界的な芸術運動の中心地のひとつにまで成長したのです。

 

モンマルトルは、華やかさと貧しさ、自由と孤独、栄光と悲哀が混ざり合う場所でした。

しかしだからこそ、真に新しい表現を求める芸術家たちにとっては、

これ以上ない魅力的な舞台だったのです。

時代は移り変わりましたが、今もモンマルトルには、

かつてここに生きた芸術家たちの息吹が、静かに、しかし確かに漂っているのだと思います。

 

多くの芸術家の卵はここを目指して 日々芸術に取り組んでいますね、

 

しかし

この場所って、、、、

 

の話は???

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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