EXECUTIVE BLOG
2023.8.14
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 日航羽田沖事故の現場から 怪我をしたのにも関わらず
商談先へ向かったビジネスマンの話から
そういえば 昔は 「24時間戦えますか?」でお馴染みの
リゲインのCMがあったと言う話でした。
又石油会社のCMから「モーレツ」と言う言葉が流行語となり、
猛烈に働く会社員たちは「モーレツ社員」と呼ばれていたのです。
1970年台のタイムカードを映したニュース映像では、
「夜は連日午前様だ。そんなすごい会社がある」というナレーションとともに、
退社時間が連日午前2時台から4時台になる超ハードワークを堂々と披露していた事もありました。
その頃の中堅社員は 戦後25年から30年を迎えていた時代ですから
丁度 45歳から50歳くらいの方々で
それこそ 父や祖父が戦争体験をしていた世代となります。
こうした時代を経た人たちが「資源のない日本を経済大国に押し上げた」という自負があるのでしょうが
それを聞いた今の若い方々の反応は
「モーレツ社員とかブラックってレベルじゃないし、朝礼で軍艦マーチを替え歌にするの怖すぎでしょ…」
とか
「ドン引き…。今の日本はこういう事の歪みに苦しめられてるいうかツケ払わされてんだなと」
と言った意見が大多数です。
実際敗戦国だった日本を 世界一の経済大国に押し上げたのは事実ですから
あの時代に今のようなゆとり社会の様な感じで過ごしていたら
後進国の仲間入りをしていたかもしれません
そういう時代を経て今の若い人たちの新しい感覚で これからの日本が立ち行く仕組みを
作り上げていく必要があるとおもうのです。
で 当時のモーレツ社員の父親世代は 戦時中に非常に苦しい環境にありました。
今朝 NHKの番組で目にしたのですが 太平洋戦争末期、
戦況が悪化して行く中 兵士の数も消耗して行き 兵役に就く年齢を引き下げて行き
とうとう 中学生までも戦地に向かわせるという決定がなされたと言うのです。
あくまでも戦地に出向くのは任意なので 手を挙げなければ その任に就く事はないそうなのですが
福岡県の朝倉中学では 当時の校長が 生徒に向けて
「戦況悪化のなか 君たちの戦力が必要になった 私にも2人の中学生の息子がいるが
彼らは 是非兵士として戦うと言ってくれている」
と話をすると 全校生徒の8割にあたる生徒たちが 自分達も国の為に戦うと手を挙げたそうなのです。
この事が 翌日からの新聞で大々的に取り上げられると
各中学校が まるで競争するかのように
うちの学校からは ○○人が手をあげた と 戦地に赴かせるのが美徳の様な
様相を呈してきたのです。
まだ 15歳ほどの少年が 次々に海軍予科練や陸軍幼年学校に入り
軍事訓練を十分に受ける事も出来ずに
航空訓練で言えば 離陸だけを学び 着陸の事は教えなかったのです
これは 一旦離陸すれば そのまま 敵艦に飛び込み帰る事が無いので
着陸の事を知る必要がないと言う事なのです
なんと恐ろしい事かと思います
他にも 人間魚雷や敵艦に突撃する特攻用の簡易ボート操縦要員とされていったのです。
これが終戦間際まで行われていたわけで
運よく生き延びた人たちが 二度と戦争を起こしたくないと言う思いから
そのエネルギーをビジネスに注いできたとのだと思います。
まもなく終戦記念日を迎えるにあたり
このよう方々が居た事を思い 平和で豊かな国にするための知恵を
我々絞り発展させることが 彼らに報うことではないかとおもうのです。
明日は 終戦記念日です、
ポツダム宣言を受諾し 終戦が決まったあとも
一部陸軍の若手将校の中には それを受け入れまいとする不穏な動きがありました。
その事を知った当時の陸軍大臣阿南大将はどのような動きをしたのか?
天皇の命令に従うのか?? あくまでも徹底抗戦を唱える若手将校の意見に同調するのか???
の
話は