EXECUTIVE BLOG
2023.6.12
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 熊本 福岡 鹿児島の話から
戦争で使われる暗号の話になってしまいました。
暗号と鹿児島には 何か繋がりがあるのか?? が
今日からの話になる予定でしたが
今朝 ブログを書く時に ふとNHKを見てましたら
なんとかアーカイブとか 言う番組で
秋葉原の話が放送されていました。
秋葉原と言えば世界的にも有名な電気街となっていますが
前の私のブログにも書きましたが 戦前東京の中心と言えば 銀座では
なく 秋葉原にある須田町だったのです。
今でも須田町の交差点はありますが ここがかつて交通の中心だったことは
都内在住の方もあまりご存知ないかとおもいます。
そして そこには国鉄の万世橋駅があったのです。
万世橋はいまでも橋がありますし 近くには 万世橋警察署もありますから
その名前をご存知の方は多いかと思います
そして その駅前には 日露戦争で活躍して戦死した 広瀬中佐の銅像が建っていました。
広瀬中佐の活躍ぶりにつきましては 前にもブログで書いておりますので
そちらをご覧頂きたいのですが
後に軍神一号となる 広瀬中佐の銅像が建っており この万世橋駅からは
多くの兵士が戦地へ向かったのです。
しかし 戦後多くの兵士を見送った広瀬中佐の銅像はけしからんと言う事で
占領軍からもクレームがついて この銅像は撤去されてしまうのです。
その後 万世橋駅までもが 姿を消すことになり
中心は秋葉原駅となるのです。
この話を見ていた時に
確かに 秋葉原はいまや栄えて しかも 電気街としても有名な場所になっていますが
何故 秋葉原は電気街として栄えるようになったのか??
また 秋葉原の名前の由来は??
電気街の秋葉原が 何故 おたくの聖地になっていったのか????
など
幾つか疑問が湧いてきますね
それらの 話は
またまた
明日へ続く、、。