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社長&顧問ブログ

2025.4.10

三四郎池

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 旧帝国大学の話しでした。

その中でも一番格が高いのが 東京大学であることは周知のとおりです。

 

私は 東京大学には行けませんでしたが 東京大学には散歩には行ってました。

 

今日は桜の話に進む予定でしたが

 

東京大学の構内にある三四郎池は 桜のシーズンになると とても綺麗なのですが、

ここで ふと興味を持った事があります。

それは

何故東京大学の中に 三四郎池があるのか??? と言う事です。

 

更には 東京の一等地に広大な敷地を持っている 東京大学はもともと何があったのか?

をご存知の方は少ないようですので

今日は この話に進みます、、、、。

 

東京大学本郷キャンパスの一角に、静かな緑に囲まれた美しい池があります。

この名前を「三四郎池」と言うのです。

 

都心のど真ん中にあるにも関わらず、まるで別世界のような静けさを湛え、

多くの学生や観光客の憩いの場となっているのです。

 

しかし、初めてこの池を訪れる人の多くがこう思います。

「どうして東京大学の構内にこんな池があるの?」

「そもそも“三四郎”って、誰?」と

三四郎池があるから東京大学だと言う方も居ますが、、、、、。

 

実は東京大学は、元々加賀藩の藩邸があったところなのです。

そして

三四郎池のある場所は、もともとは江戸時代に加賀藩・前田家の広大な江戸屋敷の一部にあったのです。

 

加賀藩といえば、ご承知の通り百万石を誇った大大名でしたね。

その前田家の庭園の一部として、現在の池は「育徳園(いくとくえん)」という名で整備されました。

 

当時の大名屋敷には、来客をもてなすための庭園が欠かせませんでした。

育徳園には四季折々の植物が植えられ、池には錦鯉が泳ぎ、丘にはあずまやが建てられ、

まさに自然と人工美の調和が見事な「日本庭園」だったのです。

 

明治時代に入り、明治政府が土地を接収して東京大学が創設されると、

この池もそのまま大学構内に取り込まれました。

つまり、東京大学ができる前から、ここにこの池はあったのです。

 

それでは「三四郎池」という名前はどうしてついたのか と言う事になりますね、、

 

これは、明治時代の文豪・夏目漱石の代表作『三四郎』に由来しているのですよ。

 

小説『三四郎』は、熊本から東京へ出てきた青年・小川三四郎が、

東京での新生活の中で出会う人々や出来事を通して、次第に成長していく姿を描いた作品です。

三四郎の名字が小川だったとは実は私は知りませんでしたが、、、、、。

 

その中で、東京大学構内の池が登場するのです。

主人公の三四郎は、大学構内を歩いている途中でこの池に出くわし、

そしてそこで女性と偶然出会うという印象的な場面があります。

このシーンが非常に文学的かつ印象的であったため、

後年になってこの池は「三四郎池」と呼ばれるようになったのです。

 

つまり、「三四郎池」という名前は、正式な地名や歴史的な名称ではなく、

文豪・夏目漱石の作品に由来する“愛称”だったと言う訳です。

 

三四郎池は、東京大学の中でも特に緑が深く、季節ごとの自然が楽しめる場所として、

多くの人々に親しまれています。

春には桜、夏には新緑、秋には紅葉、冬には静けさを感じられます。

また、近くのベンチで読書する学生や、散歩する年配の方、あるいは観光で訪れる外国人の姿も珍しくありません。

都会の喧騒を忘れさせてくれる貴重な空間として、多くの人の心を癒していますね。

 

もし東京大学を訪れる機会があれば、ぜひ足を運んでみてください。

そして池のほとりで目を閉じてみてください。

遠く江戸の風情や、漱石の小説の登場人物たちの姿が、きっと思い浮かんでくるはずです。

 

東京の真ん中にひっそりと息づく「三四郎池」。その静けさの中には、

日本の歴史と文化、そして文学の香りが今も息づいています。

そんな場所が、東京大学にはあるのです。

 

今日は 桜が綺麗に咲く 三四郎池の話しでしたが

そもそも 夏目漱石の三四郎って どんな内容だったのか??

 

また 何故 加賀藩邸の後が東大になったのか???

 

の話に

明日は 続くのか?????

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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