EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2022.4.28

上野公園銅像物語

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 上野公園にある 謎の大仏像の話でした。

普段行き慣れている場所でも

改めて見てみると 色んなものが見えてきますね。

私は 頭の訓練をするために 色々な事に興味を持つことにしているのですが

そう言う訓練をしているから 普段目に入らないモノが見えて

そこに興味を持つことが出来るのかなと思います。

 

ただ歩くだけでは面白くないですが 興味を持って歩くことが 楽しみになっていま。

 

さて そこで 昨日の続きですが

上野公園に 西郷さんの銅像があることは 知っていましたが 野口英世の銅像も

あることが分かったのです。

野口英世は お札にもなっていますから 誰でもご存知かと思いますが

よくよく考えてみますと 何をした人だっけ?? と思ってしまいました。

何かの発明をしたのか? ノーベル賞を取った人か と 改めて聞かれますと

満足には答えられませんでした。

 

で今日からは この野口英世の話にしたいのですが

 

その前に 上野公園に他にもまだある 像についてです

先ほど書いたように 西郷さんの銅像は誰でも知ってる事ですが

 

他に有名な銅像として

小松宮彰仁親王像があります。 この方は 何をした方かと言いますと

日本の皇族で陸軍大将だった方で、皇族でありながらヨーロッパの君主国の例にならって、率先して軍務につくことを奨励しました。

「戊辰戦争」では、奥羽征討総督として官軍の指揮を執っています。

その一方で、日本赤十字社の総裁を務めるなど、社会奉仕活動にも尽力されています。

この方の銅像が何故上野公園に有るかは 私の想像では 戊辰戦争で幕府軍を上野で負かして奥羽への進軍の拠点となった場所だったからではと思います。

 

次に

ボードワン博士像があります。

この博士、本名はアントニウス・フランシスカス・ボードウィン(1820〜1885)と言う方で、

オランダ出身の軍医で、江戸幕府の招きにより来日、蘭医学の普及に努めました。

上野恩賜公園ができる前、病院開設の話が上がったときに自然が失われるのを危惧し、公園建設を政府に進言したのです。

今の公園があるのもこの人のおかげなんですよ。

実はこの像、初代のが1973(昭和48)年に建立されているのですが、

なんとモデルが「ボードワン博士の弟」だったことに気づき、後年に造り替えられたと言う逸話があります。

オランダ政府の資料ミスらしいのですが、当時の担当者は大慌てしたでしょうね、

 

で 他にも有名な像がありますが

今朝は時間がなく ここまで

 

今ふと思ったのですが

あの大きな上野公園って 正面入り口はどこなんでしょうね???

大きな公園でどこからでも入れますが 正面入り口ってあるのでしょうか?

 

 

それは?????

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/