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社長&顧問ブログ

2025.2.24

上野戦争

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 陸軍の父と言われた 大村益次郎の話しでした。

 

今日は 大村が 政府軍を勝利に導いた 上野戦争での戦術の話しになります。

 

1868年5月15日、戊辰戦争の一環として「上野戦争」が勃発しました。

この戦いで、新政府軍を指揮したのが 大村益次郎 です。

彼は従来の武士の戦法とは異なる 近代戦術 を駆使し、

わずか半日で彰義隊を壊滅させたのです、

この時の大村益次郎の戦術の話しです、、、。

 

大村益次郎は、戦闘において事前の情報収集と作戦立案を重視しました。

彰義隊が上野・寛永寺に立てこもると、

新政府軍の兵力と最新兵器を活かした 戦略的な布陣 を構築したのです。

大村は、彰義隊を単純に正面から攻めるのではなく、 四方からの包囲作戦 を採用しました。

 

南側(正面):神田・本郷方面から進軍し、正面で敵を牽制。

 

西側:小石川方面から攻撃し、側面を圧迫。

 

北側:千住方面を封鎖し、彰義隊の退路を制限。

 

東側(浅草方面):あえて退路を開け、逃走を促す。

 

この戦略によって、彰義隊を短時間で壊滅させることに成功しました。

 

他にも勝算として

大村益次郎は、従来の武士の白兵戦を否定し、 最新の西洋式兵器 を駆使しました。

それらは

一つ目が

アームストロング砲を使用:遠距離から寛永寺を砲撃する

二つ目が

スナイドル銃(後装式ライフル)を導入:遠距離射撃で優位を確立。

そして最後に

戦闘をできるだけ短時間で決着させることを重視しました。

 

これにより、火力で圧倒し、彰義隊の戦意を喪失させたのです。

 

この戦いにおける大村の作戦の最大の特徴は、

「敵に逃げ道を作ることで戦意を削ぐ」という心理戦を駆使したことです。

 

彼が考えたのは

 

退路が完全に塞がれると、彰義隊は死兵となり徹底抗戦の可能性が高まる。

 

東側(浅草方面)への逃走経路を開くことで、彰義隊は次第に崩壊。

 

逃げる者が増えることで士気が低下し、戦闘が短時間で決着。

 

結果的に、彰義隊は半日で壊滅し、新政府軍の被害も最小限に抑えられました。

 

上野戦争は、日本の戦争史において 近代戦の幕開け を告げるものでした。

それは

徹底した作戦計画と情報収集

包囲戦と退路を用いた心理戦

近代兵器(大砲・銃)の効果的な活用

でした。

 

大村益次郎の戦術は、単なる戦いではなく

「戦争の科学化」とも言えるもので、

日本の戦術が西洋式に移行する転換点となったのです。

 

今もなお、彼の戦略は軍事史の観点から学ぶべき点が多いと言えるでしょう。

 

しかし ここで ある疑問が残りますね

大村益次郎は お医者さんだったはずです

それが 何故 陸軍の父になったのか????

 

の話は

 

明日へ続く、、、。

 

 

高光産業株式会社 公式サイト

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