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2025.7.14

中華思想

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日まではチベットの話しから そのチベットを中国が弾圧しているのは何故かの話しでした。

今日は その中国が掲げる中華思想の話しに進みます、、、。

 

中華思想という言葉を聞くと、

どこか難しそうな印象を持たれるかもしれませんが、

実はこれは中国が自らを「世界の中心」と見なす考え方のことです。

 

この「中華」とは「華かなものの中心」という意味であり、

中国は古代から、自分たちこそがもっとも文明的で、

もっとも優れた国だという自負を持ってきました。

 

こうした思想は、ただの自慢や誇張ではなく、

長い歴史と文化の積み重ねの中で形づくられたものでした。

では、そもそもこの中華思想はいつ頃から生まれてきたのでしょうか??。

 

遡ると、その起源は古代の紀元前11世紀の周王朝にまでたどることができます。

当時の中国では「天下」という言葉が用いられ、

これは「天の下にあるすべてのもの」という意味でしたが、

その中心に「中原」と呼ばれる現在の河南省を中心とする地域がありました。

そこに住む人々は、

自分たちが「天命」を受けて政治を行う存在だと信じており、

それが後に「華夏(かか)」という自称につながります。

 

つまり、自分たちは野蛮ではなく文化を持った「華やかな民」であり、

それ以外の周辺の民族は

「夷(い)・狄(てき)・蛮(ばん)・戎(じゅう)」といった異民族、

つまり文明化されていない存在とされていたのです。

このような自他の区別が中華思想の基盤にあります。

 

やがて春秋戦国時代を経て、秦や漢の時代になると、

中国は広大な領土を支配する国家となり、

「中華」の概念もさらに強まっていきました。

 

皇帝という絶対的な権威が「天子」と呼ばれたのも、

彼が「天命」を受けて「天下」を治める者とされていたからです。

 

こうして中国は、周辺諸国に対しても「冊封」という関係を築き、

たとえば朝鮮半島やベトナムなどに「王」の称号を与えることで、

自らが上位に立つという秩序を作り上げていきました。

 

この秩序は、「徳を持つ文明の中心が周辺の未開の民を導く」

という思想に支えられており、

いわば文化的な優越感をともなった支配構造だったのです。

 

こうした中華思想は、時代とともに形を変えつつも、

中国という国家の中心的な意識として生き続けました。

 

たとえば明や清の時代には、周辺国との朝貢関係が強調され、

貢物を持ってくる国は「礼」を守る国として評価されました。

逆に反抗する民族や国は、「野蛮」とみなされ

征服や同化の対象となったのです。

 

しかし、19世紀に入って西洋列強が中国に進出すると、

この中華思想は大きな衝撃を受けます。

アヘン戦争に敗れ、不平等条約を結ばされ、

列強の支配を受けるようになった中国は、

自らが「世界の中心」ではなく、

むしろ「世界の後進国」であることを突きつけられました。

 

これによって中華思想は一度崩れかけ、

「西洋化」や「近代化」が叫ばれるようになります。

 

辛亥革命を経て清朝が滅びた後、

中華民国や中華人民共和国という新たな国家が誕生しますが、

その中でも中華思想は完全には消えずに残っていました。

それはたとえば「中華民族の偉大なる復興」といった言葉に象徴されるように、

自らの歴史と文化に誇りを持ち、

それを世界に再び示したいという願望として、

静かに息づいていたのです。

 

明日は 現代の中国はこの中華思想で、、、、

の話に続きます。

高光産業株式会社 公式サイト

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