EXECUTIVE BLOG
2022.2.25
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 大隈重信の話から
彼の銅像を作った 朝倉文夫の話になってしまいました
そして 朝倉のアトリエ兼住居が今は 朝倉彫塑館として
残っており これは 台東区谷中にあり 日暮里駅近くで
多くの観光客が訪れています。
この銅像から またまた 話がそれてしまいますが
大阪証券取引所前に 薩摩の偉人と言われた 五代友厚の銅像があるのです。
この 五代の銅像も立派なものですが この作者が誰であるかは 調べ切れませんでした。
しかし 何故 薩摩の人間の銅像が 大阪にあるのか?? ですが
彼は 大阪商工会議所の初代会頭で
当時大阪のおばちゃんまでから人気が
有ったという事です
彼の業績については 又 別の機会という事で
昨日までの 大隈重信と五代友厚に関する話になります。
一時期一緒に居たそうです。
一昨日のブログの中でも書きましたが 大隈重信がテロに遭遇した時に
犯人に対して称賛した事 そして毎日犯人の命日には墓参りをしたと言う話が
残っており
大隈重信は なんと心が大きな人だった印象を持ちますが
実は 大隈重信は非常に短気で人の意見に耳を貸さなかったそうなのです
それで 五代は 大隈に対して
次のような諫言をしたのです。
一、 愚説愚論を聞くべし。
一を聞いて十を知ってしまうのが
閣下の短所である。
二、 地位が下の人間が、
閣下と近い意見を述べたらすぐに採用すべし。
他人の論を褒め、採用しないと徳は広がらない。
三、 怒るべからず、怒気怒声は禁物
四、 事務の処断は、急ぐべからず。
即決せずにぎりぎりまで待つべし。
五、閣下が人を嫌うと、向こうも閣下を嫌うようになる。
進んで、嫌いな人と交際を求めるべし。
この諌言を聞き入れ、
50歳を過ぎた大隈は、人間大改造をしたというのです。
的確な人物判断をした五大もさることながら、
それを聞き入れ、すなおにそれと認め
自らの非を改めた大隈の度量の広さは、
一国の長となるに、にふさわしい資質と評価できますね
現代のリーダーにも当てはまる真理ではないかと思います
今日は 大隈重信の紙幣に関する話に進まなければなりませんでしたが
もう一つ 銅像ネタを思い出しました
その銅像は
北海道札幌市 札幌市役所の中にあるのです、
しかし その 銅像の人物は
なんと あの人なのです
この人物とは そして 何故
この人の銅像が 札幌市役所の中にあるのか???????
北海道の方に聞いても知らない方が殆どでした
一体この人物は誰????
何故そこに??????????
それは??????????
明日に続く、、、、、、。