EXECUTIVE BLOG
2023.2.22
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 東京駅で見かけた二つの銅像の話でした。
一つは 台座に「愛」と言う文字が刻まれた銅像で
これには 戦争の悲しい物語が隠されていたと言う話でした。
もう一つの 立派な紳士の銅像は その後鉄道の父と呼ばれた 井上勝と言う人の
銅像でした。
文明開化後 日本が西欧に負けない為に 富国強兵策の一環で鉄道発展に
寄与された方でした。
この二つを見ると 西欧列強に負けない為に富国強兵策を進め
そして その結果 列強と対決することになり 戦争への道お歩ことになり
そこに 悲劇も産まれると言う
何か 相反する二つの銅像が建っているんだな と思ってしまいます。
しかし そこに込められている思いは
皆 日本を愛し 家族を愛していたからこその行動だったのです。
何か複雑な思いがします。
もしかしたら そういう事もあり
この井上勝さんは ある事に尽力されたのかもしれません
それが 今日の話なのです。
岩手山の南麓、雫石町と滝沢市にまたがる所にある農場があります。
名前を聞けば あの農場かと ご存知の方も多いかと思います。
場所までは知らないまでも この農場の名前は聞いた事があるかと思います。
さまざまな乳製品、さらには観光地として有名な大農場です。
ここに農場ができる以前、この地は木々もまばらな原野そのものでした。
開墾されることもなく、大地は荒涼としていたのです。
1872年に新橋〜横浜間に日本発の鉄道路線が開通したのを皮切りに、
日本各地に鉄道が敷かれるようになりました。
東北本線も、そうした明治期につくられた基幹路線のなかの代表的なひとつなのです。
1888年、この東北本線延伸工事の視察のため、ひとりの男がこの地に降り立ちました。
その人物こそが明治政府鉄道局長官・井上勝だったのです。
長州藩出身の井上勝は、幕末動乱期にイギリスに密航して近代土木技術を学んだのち、
新橋〜東京間、東海道本線、東北本線など多くの鉄道敷設工事の指揮を執った人物です。
この事で 後に鉄道の父と呼ばれるようになり
それを記念して 現在東京駅前に 彼の銅像が建っているのです。
当地を訪れた井上勝が目にしたのは、岩手山麓に広がる不毛の原野でした。
火山灰の大地にススキやワラビなどが散在するその光景は、
まさに開墾からとり残されたかのように彼は感じたのです。
普通であれば ここをどのように開発しようかと考えてしまうかもしれませんし
この奥地迄鉄道を敷こうと考えたかもしれません
しかし 彼はこの光景をみて ある事を思うのです。
そしてそれが後に 有名な牧場となるのです。
井上は この僻地をみて何を思ったのか????
その後 これまた当時有名な方が協力することになるのですが
それは 一体誰なのか???
その農場の名前とは????
それは????????
明日に続く、、、、。