EXECUTIVE BLOG
2024.9.1
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 一人の名もない人の動きが その後の歴史に実は
大きく関わっていると言う話で
大黒屋光太夫の部下で 名もない男の話しへ続くはずでしたが
千利休の言葉で 一期一会と言う言葉があり 出会いの一つ一つに意味があるのだから
大切にしましょう と言う言葉なのですが
この言葉を広めたのと言われているのが
幕末の大老の 井伊直弼だと言われています。
中学か高校の日本史の中で 出て来る人の名前で
私のイメージとしては 安政の大獄の首謀者で 多くの改革派人たちを弾圧した
悪い人物で その人が 桜田門外の変で 暗殺されるのは当然で 彼を暗殺した
水戸藩や薩摩藩の浪士の活躍ぶりを 胸躍らせて聞いていました。
とにかく 独裁者で 顔を真っ赤にして怒り狂って 浪士達を弾圧していたので
赤鬼だと言われているのだと思いました。
しかし ここで ちょっと待てよ 何故 単なる鬼のような と言う表現ではなく
「赤鬼」なのか?? まさに 言い得て妙だと思うのですが、、、
何故 赤と言う文字が付くのかと言うのかと言うのが今日からの話になるのですが
実は歴史上 赤鬼と呼ばれたのは 井伊直弼の前にもう一人いました。
今日はこの話です、、。
「井伊の赤鬼」という言葉は、歴史上二人の人物に関連して使われているのです。
最初の一人は初代彦根藩主である井伊直政なのです。
彼は具足を全て赤色で揃えた軍隊「赤備え」を率い、士気が高く勇敢な将として知られていました。
また、赤い鎧や装束をまとい、兜に角のような飾りをつけていたことから
「井伊の赤鬼」とも呼ばれていたのです。
ここでも 何故 赤に備える必要があったのか????
との疑問も湧いてきますね、、
単にカッコ良いから??? と思う方も居るかもしれませんし
逆に 目立ちすぎて 狙われてしまうのではと心配する方も居るかもしれません、
何故赤に備えたかと言うと
相手に斬られると 血が出ますね そして 血で染まります
これを見て自分の気が萎え 一方 敵は 勢いを増すかもしれないのです
それで 前進赤で備えていれば そういう事が無く 武士たちの士気もあがるとの
考えから 直政は 全て赤で備えたのです。
そして 実際戦闘では 彼らは勇敢に戦うものですから
敵方からの 井伊の赤備え と恐れられ 戦う前から萎縮したと言われています。
後から考えれば 賢いと思いますが、これも最初に考えた直政は素晴らしいと思います。
そして この方の子孫が 井伊直弼ですね、
もう一人の「赤鬼」の井伊直弼は、幕末に悪名高い「安政の大獄」を断行しました。
彼は一本気で能力も高く、悪役にされがちな大老でした。
安政の大獄は政治的暴挙だと言われてますが、
彼にも一応事情があったのです。
実は、当時の日米修好通商条約の調印など、開国と近代化を推進した一面があるのです。
鎖国を進めていたのが幕府で 維新を押し進めようと考えていたのが坂本龍馬達なのに
一瞬矛盾を感じますね、、。
そういう事もあり直弼の評価は複雑で、暗殺された場所である桜田門での事件が有名ですが、
その背後には朝廷無視の開国問題や政治的な葛藤が絡んでいました。
彼の行動は当時の状況を考慮する必要があり、一概に「ワルだった」とは言えない一面があるのです。
昨日書いたように 茶道を愛する茶人でもあるのです。
歴史は勝者が書き換えると言われるように 後世 長州人によって 悪者に
仕立てられた感があります。
では 復習として
安政の大獄って そもそも 何なのか???
は
明日に続く、、、。