
EXECUTIVE BLOG
2026.4.2
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日は
エイプリルフールの起源や由来の話しでした。
この西洋由来のエイプリルフールは、日本ではいつから始まったのでしょうか??。
ここでもまず大切なのは、
日本では最初からいまのように
「四月一日は軽い嘘をついてよい日」として広まったわけではない、
ということです。
国立国会図書館のレファレンス情報や各種事典類では、
日本には四月一日に関係する別の習わしが先にあり、
それがのちに欧米由来のエイプリルフールと結びついていったと紹介されています。
その別の習わしとは「不義理の日」です。
これは、普段なかなか会えず、義理を欠いてしまっている相手に対して、
手紙などで無沙汰や不調法を詫びる日であったとされます。
いまの感覚からすると意外ですが、
日本の四月一日は、もともと誰かをかつぐ日というより、
むしろ失礼を詫びる日として意識されていた時期があったのです。
しかもこの系統の説明では、
その背景に中国伝来の風習や「万愚節」という漢語表現が紹介されることもあります。
ただし、
日本でこの不義理の日がどの時点でどこまで広く行われていたのかについては、
地域差もあり、きれいに一本化できるわけではありません。
けれども少なくとも、
四月一日が日本で昔から何らかの節目の日と見なされてきたこと、
そしてそれが単純な西洋模倣ではなかったことは重要です。
その後、日本に現在の意味でのエイプリルフールが広まったのは、
大正時代とされることが多く、
国立国会図書館のレファレンスや複数の事典でも
「日本へは大正時代に伝わり定着した」
と紹介されています。
このころ、
日本では英語の April Fool を訳して「四月馬鹿」と呼ぶ言い方が広まりました。
つまり、日本の近代化と西洋文化の流入が進む中で、
四月一日は
「不義理を詫びる日」から「軽い嘘やいたずらを楽しむ日」
へと意味を変えていったのです。
明治から大正、そして昭和にかけて、
日本社会は急速に新聞、雑誌、広告、学校教育、大衆文化を発展させました。
こうした時代には、新しい言葉や風習が都市部から広まりやすく、
エイプリルフールもまた、
そうした新しい生活文化の一つとして受け入れられていったのでしょう。
実際、昭和初期には新聞でも四月馬鹿やエイプリルフールが紹介されるようになり、
単なる外来の珍しい風習から、
一般の人が知る季節の話題へと変わっていったことがうかがえます。
ここで面白いのは、
日本人がこの風習をただそのまま輸入したのではなく、
日本流にやわらかく受け止め直したことです。
欧米では新聞や企業ぐるみの大きなジョークが有名ですが、
日本では長いあいだ、
身近な人との軽い冗談、あるいはちょっとした話題として
親しまれる傾向が強くありました。
これには、
日本社会が公の場での混乱や過度な人騒がせを
あまり好まなかったことも関係しているでしょう。
だから日本では、エイプリルフールは派手な悪ふざけよりも、
気の利いた小さな嘘、かわいげのある冗談として
定着しやすかったのだと思われます。
そして現代になると、
テレビ、雑誌、インターネット、企業の公式サイト、SNSへと舞台が移り、
四月一日は個人だけでなく
企業や団体まで参加する一種の文化イベントになりました。
しかし、その姿が変わっても、
日本での受け止め方には、どこか
「相手に嫌な思いをさせない範囲で」という感覚が残っています。
これは、不義理の日に見られるような、相手との関係を壊すのではなく、
むしろ整えるという日本的な感覚が、深いところで影響しているのかもしれません。
つまり日本におけるエイプリルフールの歴史は、
単に西洋の冗談文化が入ってきた歴史ではなく、
四月一日という日に日本人がもともと持っていた
「人との関係を見直す日」という感覚に、
新しい外来文化が重なってできた歴史だとも言えるのです。