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社長&顧問ブログ

2022.9.22

今は何が?

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 極東軍事裁判の話から その時戦犯たちが

収容されていた 巣鴨プリズンの話になりました。

 

極東軍事裁判が行われた場所が 旧陸軍省があったところで

現在の 市ヶ谷の防衛省がある所です。

 

東京は都市が発展していますので 昔のあの場所が 今はこんな場所になっていると

驚かされる事が多々あります。

 

東京大学が元 加賀藩邸あとだったりとかありますね

 

で 今日の話は

戦犯が収容されていた 巣鴨プリズンは 今のどこなのか? と言う話です。

巣鴨プリズンは 戦犯が収容されていただけでなく A級戦犯が処刑された場所でもあります。

その時の 処刑場への入口へのドアが 今も残されていたと聞いて驚いています。

 

戦争指導者たちは 13番と書かれたドアに向かって歩いている時に どのような

気持ちでいたのでしょうか???

自分達は 無実だとか 叫んでいたのでしょうか???

我々一般人だと 最後まで 恐れおののき喚いていたかもしれませんが

彼らはそうではなかったようです。

最後まで 肚が座っていたようです。

戦犯として悪名が残ってしまった 東條英機は 死刑判決が下された時も

うんうん と納得して頷いていました映像が残されています。

 

その時の7人の戦犯に関しては また 後日書くことにして

それとは別で 自身が軍人ではなく 右翼思想家として活動していた思想家の

大川周明は 自分が死刑宣告される事をおそれたのか

裁判中に 前に座っていた 東條英機の後頭部を叩くと言う あり得ない行動をしたのです。

他にもアラビア語だけで話てみたりと 精神に異常をきたしているとしか思えない

奇行を繰り返したのでした。

 

この事により 途中から 裁判から外されることになり 結果死刑を免れる事になるのですが

彼の思想と指導により 多くの軍人が無駄な死を遂げているのですから

最後まで 7人と戦犯と同じく 堂々と振舞って欲しかったと思います

 

この 大川周明に関しても 別な機会に書かせて頂きますが

 

巣鴨プリズンは 今のどこにあったのか??? の話に戻ります。

 

巣鴨と言う位ですから 今の山手線の巣鴨駅の近くではと思ってしまいますが

 

巣鴨プリズンは 今の池袋で 正式には東池袋にありました。

 

当時は 今のように 都会では無い場所で 周囲はまだ田園風景が広がっていたようです。

 

そういえば 私が 子供の頃 新宿も 南口に出た事がありましたが

そこも まだ 田や畑が多く残っていました

西口も 高層ビル群ではなく 大きな浄水場があったのを覚えています。

 

数十年で あっという間に都市化されたのだと改めて思います。

 

で この巣鴨プリズンは 今何が建っているのか???ですが

 

処刑場もあったこの場所には 今は 東京では誰もが知っている

サンシャイン60が 建っているのです。

 

このサンシャイン60には ある都市伝説が語られているのをご存知でしょうか?

 

何故 60と言う数字が選ばれたのか??? とか

意味を知ると怖くなります。

 

その意味とは??????

 

それは?????

 

明日に続く、、、、、。。。。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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