EXECUTIVE BLOG
2023.5.23
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは お葬式の話から
お葬式でも 地域によっては慣習があると言うはなしから
特に 北海道のお葬式は 普段我々が目にする慣習とは違うと言う話でした。
北海道は広いと言う事もなり 独自な葬式文化を築いてきたのではと思います。
なかなか 仏教からの話から次に進むことが出来ませんが
もう少し 仏教の話を、、、。
一番身近な宗教である 仏教ですが その変遷や中身については知らないのが現状ですね、
簡単に言うと 葬式仏教になっている気がします。
日本における仏教の歴史をみてみますと
奈良時代では 知的エリートたちによる学問で、
平安時代で 貴族を中心に根付いて
鎌倉時代で 民衆たちへ爆発的に広がり始め
安土桃山時代では 武士を中心に世俗化してきた
のですが
これが江戸時代ともなりますと 色々な思想が混じり出して来るのです。
徳川幕府は仏教界を幕藩体制の中に組み込み、
さらにはそれを補完する役割を担わせるというまことに巧みな政策を実施します。
その為に大きな政策を2点作ります。
一つは、本末制度です。
これは、
本山と末寺の関係を制度的に確定する、という制度です。
このことは、本山にとってもメリットがありました。
末寺から上納金を取り、人事権などの強大な権力を持つことができたので
本山側も積極的に協力しました。
もう一つは、寺檀制度です。
これは寺院と檀家の関係を固定化する、という制度です。
この制度は、キリシタンではないことを証明すると言う側面もありました。
が、
真の狙いは宗旨人別帳(=戸籍)の作成を制度化することで、民衆を支配する手段だったのです。
現代で言う所の市役所の働きをお寺に担わせたと言う事になります。
この制度は寺院にとってもメリットが大きかったので、寺院側も積極的に協力したのです。
つまり
葬式などの儀式を寺院が行なうことが、完全に固定化されていきました。
これにより葬式仏教と言われてしまう事になったのです。
このお寺を管理する部署は幕府のどこかと言う事になりますが、
それは
明日に続く、、。