EXECUTIVE BLOG
2023.2.8
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 日本の風習の話から
節分の豆まき から 節分に恵方巻を食べる話になりました。
我々は 節分は豆をまき 恵方巻は食べるものだと 何の疑問を持たずに
この風習に囚われていますが
この謂れを問われると答えられないものです。
初詣の風習も ある電鉄会社が 元日に電車に乗せるために思いついた企画と
言われていますし
土用丑の日に鰻を食べる風習も 夏に鰻を食べる風習がなかったのを
江戸時代の平賀源内が 江戸町民が興味が湧くようなキャッチフィレーズを考え
街中にその看板を見ているうちに 町民たちは 土用丑の日は鰻を食べなければ
ならないと言う気持ちにさせてしまったのです。
平賀源内は 発明家だけではなく マーケティングの天才でもあったという事ですね
当時は大学でマーケティング等習えるはずがありませんが
今で言う所の ザイオンの方式 単純接触の法則を自ら編み出したという事になります。
最初に思いつく人たちは素晴らしいと思います。
で この恵方巻も大正時代に
お新香を巻いた海苔巻き寿司を恵方に向かって食べ、縁起を担いだのだそうですが、
ただ、この風習は主に花街で行われており、庶民に浸透したものではなかったのです。
恵方巻に関して現存する最古の資料を見つけましたが
昭和7年に「大阪鮓商組合後援会」が発刊したチラシの中に
節分についての記述があります。
「節分の日に丸かぶり
この流行は古くから花柳界に持て囃されていました。
……中略……
これは節分の日に限るもので
その年の恵方を向いて無言で一本の巻寿司を丸かぶりすれば
其年は幸運に恵まれるということであります。
……中略……
一家揃って試食を願い本年の幸運を取り逃がさぬようお勧め申します。」
と言うような内容です。
やはり仕掛け人がいたのです。
しかし戦中戦後と、暫くの間廃れていた恵方巻きの風習ですが、
昭和24年に大阪鮓商協同組合の理事会において復活させることを決定したのです。
その決定とは
「土用の丑の日のうなぎの蒲焼」に対抗する、販売促進手段を行うと言う決定でした。
節分のある2月は、1年のうちで客足が一番少ない時期ですから、
お寿司屋さんも、何かしらの集客手段が欲しかったのかもしれません。
それで
「恵方に向かって巻き寿司を食べて幸運を呼び込もう!」という、
宣伝活動が行われるようになったのです。
江戸時代の 平賀源内のマーケティング手法を ここで真似をしたと言う事になりますから 源内恐るべしです。
さらに
昭和52年には大阪・道頓堀で「海苔祭り」の1イベントとして、
「巻き寿司の丸かぶり早食い競争」を企画したのでした。
そして
そのイベントがマスコミに取り上げられると、
全国の海苔祭りでも同様のイベントが行われるようになるのですが、
これだけでは 今の様な 節分に恵方巻を食べる文化は浸透しませんね
では この原動力となったのは 何だったのか????
それは?????
は
明日に続く、、、、。