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社長&顧問ブログ

2026.9.3

何故人は英雄を語り継ぐのか

高光産業株式会社

妹尾八郎です

 

東京・大手町で偶然見つけた平将門の首塚。

「これは何だろう?」

という、いつもの私の好奇心から始まった話が続いています。

 

平将門を調べ、

将門を討った藤原秀郷を知り、

さらに秀郷の大ムカデ退治の伝説にまで話が広がりました。

 

しかし今回、一つ気になったことがあります。

 

将門の首が京都から関東へ飛んだ。

藤原秀郷が巨大なムカデを退治した。

もちろん、これらは伝説です。

 

では、なぜ人々は、

そんな話を何百年、千年という時間をかけて語り継いできたのでしょう。

 

単に面白いからでしょうか。

 

私は、どうもそれだけではないような気がするのです。

 

 

歴史には、たくさんの年号があります。

 

939年、平将門が「新皇」を称したと伝えられる。

940年、将門が討たれる。

これは歴史として大切なことです。

 

しかし正直なところ、数字だけなら忘れてしまうことがあります。

 

ところが、

「将門の首が故郷を目指して飛んだ」

と聞けば、なぜか覚えている。

 

藤原秀郷についても、

「平将門討伐で功績を挙げた武将」

という説明だけより、

「巨大なムカデを三本目の矢で倒した男」

と言われた方が、心に残ります。

 

人間というものは不思議です。

事実を数字で覚えるより、

物語として受け取った方が、ずっと長く覚えている。

 

昔の人たちは、そのことを知っていたのかもしれません。

 

今のように、

誰でも本を読めた時代ではありません。

テレビもありません。

ラジオもありません。

もちろんインターネットもありません。

 

それでも人々は、大切なことを次の世代へ伝えなければならなかった。

親から子へ。祖父母から孫へ。

村から村へ。旅人から旅人へ。

そこで大きな役割を果たしたのが、

「物語」だったのではないでしょうか。

 

勇気を持ちなさい。約束を守りなさい。

困難から逃げてはいけない。人から受けた恩を忘れてはいけない。

亡くなった人を粗末にしてはいけない。

 

こうしたことを、

「そうしなさい」

と命令するだけでは、なかなか心には残りません。

 

しかし物語にすると、何百年も残る。

だから昔の人たちは、

教えを物語の中に包んで、次の世代へ渡したのかもしれません。

 

そう考えると、

将門の首が本当に飛んだのかどうか。大ムカデが本当にいたのかどうか。

それだけを議論していては、

伝説の大切な部分を見落としてしまうような気がします。

 

将門の首の伝説には、「故郷を思う心」が残った。

将門塚の伝説には、「亡くなった人を忘れない心」が残った。

 

藤原秀郷の大ムカデ退治には、

「大きな困難にも逃げずに立ち向かう心」が残った。

 

つまり伝説とは、

昔の人から今の私たちへ、「心を運ぶ器」なのかもしれません。

 

ここまで考えて、私はふと気がつきました。

物語を残すのは、歴史上の人物だけではありません。

私たちも毎日、小さな物語を作っています。

 

例えば会社で、

「あの時、会社が大変だったけれど、みんなで乗り越えたな」

という話があります。

 

家庭にも、

「おじいちゃんは若い頃、こんな苦労をした」

「おばあちゃんは、こんな人だった」

という話があります。

 

学校にも、地域にも、友人同士にもあります。

それらは歴史の教科書には載りません。

 

しかし、

誰かの人生を支える大切な物語になることがあります。

 

人生を長く歩いていると、不思議と忘れない言葉があります。

その人が何十年も前に言った、ほんの一言。

 

言った本人は、もう覚えていないかもしれません。

しかし、言われた方はずっと覚えている。

 

苦しい時に思い出したり、

何かを決断する時に思い出したりします。

 

逆に考えれば、

私たちが今日、誰かに言った一言も、

その人の心に何十年も残るかもしれない。

 

そう考えると、言葉というものは大切です。

 

何気なく言った、

「ありがとう」「頑張っているね」「大丈夫だよ」「あなたなら出来るよ」

そんな短い言葉が、

誰かの人生の物語の一ページになることもあるのです。

 

平将門は千年以上名前を残しました。

藤原秀郷も、千年以上語り継がれています。

 

しかし私たちは、

 

千年後に名前を残す必要などありません。

歴史の教科書に載る必要もありません。

銅像を建ててもらう必要もない。

 

それよりも、

目の前にいる誰かの心に、温かいものを一つ残す。

それで十分ではないでしょうか。

 

「あの人に助けてもらった」「あの人の言葉で勇気が出た」

 

「あの人が信じてくれたから、もう一度頑張れた」

 

そして今度は、

その人が別の誰かを助ける。

その人がまた、次の人を励ます。

 

名前は消えても、思いだけは、人から人へ渡っていく。

もしかすると、

それこそが本当の意味で「残る」ということなのかもしれません。

 

若い頃は、

「自分の人生は自分のものだ」と思います。

もちろん、その通りです。

 

しかし年齢を重ねていくと、少し違う見方もできるようになります。

 

自分が親から受け取ったもの。先輩から教えてもらったもの。

友人からもらった言葉。仕事を通して学んだこと。

失敗から気づいたこと。

そういうものを全部受け取って、今の自分がいます。

 

そして今度は、

自分が受け取ったものを、次の人へ渡していく番が来る。

 

そう考えると、

 

一人の人生は一人だけで完結しているわけではないのだと思います。

 

前の世代から受け取り、次の世代へ渡していく。

私たちは皆、その途中にいるのかもしれません。

 

私たちは時々、

「人生で何を残せるだろう」と考えます。

 

財産。会社。建物。発明。作品。

もちろん、形として残るものも大切です。

 

しかし私は今回、将門や秀郷の物語を追いながら、

少し違うことを思うようになりました。

 

「何を残すか」ではなく、

「何を次の人へ渡せるか」。

こちらの方が大切なのかもしれません。

 

知識を渡す。経験を渡す。勇気を渡す。優しさを渡す。

失敗から学んだことを渡す。

 

そして、

「あなたも次の人へ渡してください」

と託していく。

 

そうすれば、自分の名前が忘れられても、

自分から始まった何かは、ずっと先まで続いていく可能性があります。

 

改めて考えると、不思議です。

私は東京・大手町を歩いていただけでした。

そこで小さな将門塚を見つけた。

 

そして、「なぜ、ここにあるのだろう?」

と思った。

たったそれだけです。

 

その小さな「なぜ?」から、

千年以上前の平将門に出会い、藤原秀郷に出会い、

大ムカデの伝説にまで出会いました。

 

そして今、

「人は何を次の世代へ渡していくのだろう」

ということまで考えています。

 

だから私は、何にでも興味を持つことは、人生を豊かにしてくれる

と思うのです。

 

「これは何だろう」

と思ったら、少し調べてみる。

 

その向こうには、

自分が昨日まで知らなかった世界が広がっているかもしれません。

 

千年後のことなど、誰にも分かりません。

でも今日なら、私たちにもできます。

 

誰かに優しい言葉をかける。

困っている人を少し助ける。

自分の経験を若い人に伝える。

人から受けた恩を、別の誰かへ返す。

その一つ一つは、とても小さなことです。

 

しかし、

物語というものは、案外そんな小さなところから始まるのかもしれません。

 

平将門の物語も、藤原秀郷の物語も、

千年後の私たちにまで届きました。

 

では私たちは、

次の人へ何を渡すのでしょう??。

 

人はいつか去っていく。

けれど、人から人へ渡したものは、その先を歩いていく。

 

だから今日一日も、

誰かの心に少しでも良いものを渡せる一日にしたいものです。

 

ここまで平将門を追いかけてきて、最後にどうしても気になることがあります。

千年以上たった今、

なぜ東京という街は、平将門を今なお大切にしているのでしょう???。

 

大手町の将門塚。神田明神。そして現代の東京で生き続ける将門伝説。

 

明日は再び、私が最初に立った

「現在の東京」へ戻ってみたいと思います。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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