
EXECUTIVE BLOG
2026.8.31
高光産業株式会社
妹尾八郎です
昨日までは
東京・大手町で将門塚を見かけ事からの話しでした。
「なぜ、東京のど真ん中に、こんな場所が残っているのだろう?」
いつもの私の「なぜ?」です。
ところが調べていくうちに、
朝廷に反旗を翻したとされた将門。
関東で英雄として語られた将門。
京都から首が飛んできたという伝説。
そして、
将門塚をめぐる「祟り」の話。
一つ調べると、また次の「なぜ?」が出てきます。
何にでも興味を持ってしまう私は、こうなると止まりません。
そして今回、
ついに一番不思議なところへたどり着きました。
朝廷に背いた「逆賊」とされた人物が、
なぜ後の時代に「神様」として祀られるようになったのだろう????。
考えてみれば、これはすごいことです。
平将門が亡くなったのは940年。
それから長い年月が流れます。
将門の死後も、その名は関東の人々の記憶から消えませんでした。
そして14世紀初め、
時宗の僧・真教上人が将門の霊を慰め、神田明神に奉祀したと伝えられています。
現在の神田明神では、
平将門命は御祭神の一柱として祀られています。
ここで私は考えてしまいました。
人間の一生を70年、80年と考えても、四百年という時間は途方もなく長い。
普通なら、人の名前など忘れられてしまいます。
しかし将門は違いました。
亡くなってなお、何百年も人々の心の中に生き続けた。
そして、ついには祀られる存在になったのです。
なぜなのでしょう?????
日本の歴史を見ていると、不思議なことがあります。
非業の死を遂げた人物や、政治的な争いに敗れた人物が、
後世になって丁重に祀られることがあります。
生前は敵だった。権力に逆らった。戦いに敗れた。
だからといって、
その人の存在そのものまで否定しない。
私は、そこに日本人独特の人間観があるように感じます。
勝った者がすべて正しい。負けた者がすべて間違っている。
それだけでは、人間というものは語れない。
敗れた人にも家族がいたでしょう。
仲間がいたでしょう。
守りたかったものがあったでしょう。
そして、
その人を慕った人々もいたはずです。
勝敗と、人間の価値は同じではない。
将門が千年以上語り継がれてきたことは、
それを私たちに教えているような気がします。
さらに時代は下り、
徳川家康が江戸に入り、江戸の町が大きく発展していきます。
神田明神も江戸幕府から大切にされ、
「江戸総鎮守」として広く崇敬されるようになります。
その神田明神に、平将門が祀られている。
考えてみれば不思議な巡り合わせです。
かつて関東で戦った男。
その何百年も後に、同じ関東に日本最大級の都市・江戸が生まれる。
そして現代。
江戸は東京となり、世界有数の巨大都市になりました。
それでも、
平将門の名前は消えませんでした。
大手町には将門塚があり、
神田には神田明神がある。
私は東京で将門塚を見た時、
そんな千年の時間まで考えていたわけではありません。
ただ、
「何だろう、これは?」
と思っただけです。
でも、その小さな疑問から千年の物語が始まりました。
だから私は、何にでも興味を持つことは大切だと思うのです
将門について調べているうちに、私は別のことを考えるようになりました。
人間の本当の評価というものは、一体いつ決まるのでしょうか???。
会社にいる時でしょうか。
現役で活躍している時でしょうか。
肩書きがある時でしょうか。
お金を持っている時でしょうか。
有名になった時でしょうか。
その時には評価されなかった人が、後になって評価されることがあります。
逆に、
生きている時には大変な権力を持っていた人でも、
時代が過ぎれば名前すら残らないことがあります。
将門は戦いに敗れました。
その意味では「敗者」です。
しかし千年以上たった今も、私たちは将門について語っています。
だとすれば、
人生の勝ち負けとは、一体何なのでし
私は仕事をしてきて、多くの人と出会ってきました。
立派な肩書きを持つ人もいました。
大きな会社を経営する人もいました。
財産を築いた人もいました。
もちろん、それも素晴らしいことです。
しかし年齢を重ねるほど、
私は人を見る時に別のことを考えるようになりました。
「この人は、周りの人の心に何を残したのだろう」
ということです。
人を助けた。人を育てた。勇気を与えた。
困った時に手を差し伸べた。「あの人のおかげで今の自分がある」
と誰か一人にでも思ってもらえる。
それは数字には表れません。
履歴書にも残りません。
けれども、
人から人へ伝わっていきます。
もしかすると、それこそが、
人間が最後に残せる一番大きな財産なのかもしれませ
940年だけを見れば、
将門は負けました。
戦いに敗れ、命を失いました。
しかし千年以上という時間で見たら、どうでしょう。
東京の中心に塚が残っている。人々が花を供えている。
神田明神で御祭神として祀られている。
そして千年以上後に東京を歩いていた私まで、
「平将門とは、どんな人だったのだろう」と足を止めている。
ここまで来ると、
「勝者とは誰なのだろう」と思ってしまいます。
私は、人生というものは短い時間だけで判断してはいけないのだと思います。
今日失敗したからといって、
人生に失敗したわけではない。
今評価されていないからといって、
その人に価値がないわけではない。
一生懸命にやったこと。誰かのためにしたこと。人に残した言葉。
そういうものは、
自分が知らないところで誰かに受け継がれていくことがあります。
もちろん、
私たちが平将門のように千年後まで名前を残す必要などありません。
そんなことを目指して生きる必要もないでしょう。
でも、
自分がいなくなった後、誰か一人の心に温かいものを残すことはできる。
「あの人に会えてよかった」
「あの人から教えてもらったことを、今でも覚えている」
「あの時の一言に救われた」
それで十分ではないでしょうか。
そして今度は、その人が別の誰かへ渡していく。
そうやって、人の思いは続いていくのだと思いま
最初は、たった一つの疑問でした。
「なぜ、大手町の一等地に将門塚が残っているのだろう?」
それだけでした。
ところが、その「なぜ?」を追いかけてみると、
人を忘れないということ。敗者にも目を向けるということ。
過去を敬うということ。人間の評価とは何なのか。
そして、
自分は人の心に何を残して生きるのか??。
そこまで考えることになりました。
歴史を知るということは、昔の年号を覚えることではないのかもしれません。
昔を生きた人を通して、今を生きる自分を見ること。
私は今回、
平将門からそんなことを教えてもらったような気がしています。
そして将門を調べていくと、さらに面白い人物が登場します。
平将門を討った武将、
藤原秀郷。
「俵藤太」の名でも知られる人物です。
ところが、この人にもまた、とんでもない伝説が残されています。
大ムカデ退治です。
将門から始まった私の「なぜ?」は、
まだ終わりそうにありません。
何にでも興味を持つというのも、困ったものです。
でも私は、これでいいと思っています。
「なぜ?」と思える限り、
人はいくつになっても新しい世界に出会える、、、、、。
明日は
この話に続く、、、、、。