
EXECUTIVE BLOG
2025.11.10
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日は 文化勲章受章者の話しから
多くの文化人が住んでいた 台東区谷中の話しでした。
文化勲章受章者をよく見てみますと この中から
人間国宝に選ばれた人はいますが、
なぜか
作家で文化勲章は受賞したが 人間国宝に選ばれた人はいないのです、、
今日は この話に進みます、、、。
文学というものは、人間の心の深さや想像力の広がりを言葉によって形にする芸術です。
ところが日本では、陶芸や能楽、歌舞伎のような伝統芸能に比べて、
文学が「人間国宝」に指定されることはありません。
文化勲章を受章した作家は多くいますが、制度上、文学は人間国宝の対象外なのです。
では、なぜ日本の文学者、特に世界に名を残したノーベル文学賞作家たちが
人間国宝に有らバレないのか????。
それは、制度の成り立ちと理念に理由があります。
人間国宝というのは、文化財保護法で「重要無形文化財保持者」と定められており、
具体的な技や技法を後世に伝える人を指します。
つまり、弟子を取り、型や作法、技能を継承することが前提になっています。
能や歌舞伎、陶芸や染織などが指定されるのは、
まさにそうした“伝えることのできる技”を持っているからです。
一方で、作家の仕事は伝統芸能とは真逆です。
作家は自分だけの世界を創り出し、他の誰にも真似できない個性を表現します。
そこには「型」はあっても、継承の仕組みは存在しません。
たとえば川端康成や大江健三郎の小説にある独特のリズムや語りの深さは、
弟子が真似しても再現できるものではありません。
それこそが文学の魅力であり、同時に人間国宝の枠に入らない理由でもあるのです。
ノーベル賞は世界中の文学者の中から、その年最も優れた創作を行った人物に贈られます。そこでは「伝統を守ること」よりも「新しい表現を生み出すこと」が重視されます。
つまり、
人間国宝が過去から未来へと技を受け継ぐ存在であるのに対し、
ノーベル賞作家は未来に向けて未知の表現を切り拓く存在なのです。
どちらも文化に貢献していますが、その方向が正反対なのです。
とはいえ、文学が文化の根幹を支えてきたことは間違いありません。
戦後の混乱期に希望を描いた三島由紀夫の言葉、
自然と人間の調和を詩的に表した川端康成の文章、
社会の矛盾を鋭く描いた大江健三郎の思想など、、、
これらはどれも日本人の精神を形作った文化遺産です。
陶芸家が土をこねて形を作るように、作家は言葉をこねて魂の形を作っています。
そう考えると、
彼らを「言葉の職人」として人間国宝に準ずる扱いにしてもよいのではないか??
という意見も納得がいきます。
実際、海外では文学者を「国民的財産」として位置づける国もあります。
アイルランドのジェイムズ・ジョイスやフランスのヴィクトル・ユゴーは、
文学が国家の誇りそのものとされています。
もし日本にも「文学の人間国宝」があれば、若い世代が作家を志すきっかけにもなり、
読書文化の再生にもつながるでしょう。
しかし、制度的にはいくつかの壁があります。
人間国宝には「技の継承」「公開」「教育」という義務があります。
作家にそれを求めるのは現実的に難しく、また創作の自由を縛る恐れもあります。
文学は個人の精神の自由によって成り立つものであり、
伝統芸能のように「正しい型」を共有するものではないからです。
もし無理に人間国宝に指定すれば、逆に文学の本質を損ねてしまうかもしれません。
ではどうすればよいのでしょうか???。
ここで提案されているのが、新たな顕彰制度です、、、、。
いわば「文芸のリビング・レジェンド制度」です。
人間国宝のように国が公式に認定し、功績を称えると同時に、
資料の保存や若手育成を支援する仕組みです。
たとえばノーベル賞作家の原稿や書簡、編集ノート、校正紙などを
国立図書館や文筆家協会が体系的に保存し、
後世の研究や教育に活かすことができます。
また、受章者自身が講演や創作講座を通して若者に
「書く喜び」を伝える場を設けることもできます。
これならば、作家の個性や自由を尊重しながら文化の継承も可能になります。
さらに、文学だけでなく詩、評論、脚本、児童文学、翻訳など、
幅広い文芸分野を対象にすることで、日本語文化全体の底上げにもつながります。
現代はAIが文章を生み出す時代になりましたが、
人間の心から紡がれる言葉の重みは決して失われません。
文学は時代を映す鏡であり、人間の精神の記録でもあります。
だからこそ、ノーベル賞作家のような文学者を「人間国宝のように扱う」ことは、
単なる称号以上の意味を持つのです。
それは「言葉を通して日本人の心を守る」行為であり、未来への文化投資でもあります。
文化勲章が功績を称える章なら、人間国宝は技をつなぐ章です。
では文学には、心をつなぐ章があってもよいのではないでしょうか。
もし「文芸国宝」という制度が生まれたなら、
川端康成や大江健三郎の名はもちろん、
まだ見ぬ次の世代の作家たちもそこに名を連ねる日が来るかもしれません。
言葉は形を持たないけれど、心に残る文化です。
だからこそ、目に見える工芸や音楽と同じように、
文学もまた日本の財産として守り伝えるべきものなのです。
ノーベル賞作家を人間国宝に――
その発想は、単なる栄誉ではなく、未来への文化の約束なのかもしれません。