
EXECUTIVE BLOG
2025.4.18
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 加賀藩の意識の高さについての話しでした。
今日は 我が福岡藩はどうだったのか?? の話に進みます、、、。
幕末という日本の歴史の中でも特に激動の時代でした。
江戸幕府という長年の支配体制が崩れ、倒幕・佐幕の対立が深まる中、
多くの藩が生き残りをかけて知恵を絞り、時には血を流していたのです。
そんな中で、見事な対応力を見せたのが加賀藩であり、
一方で混乱と不名誉に見舞われたのが福岡藩だったのです。
ともに大藩でありながら、なぜこれほどまでに明暗が分かれたのでしょうか???。
まず加賀藩。加賀百万石という言葉に象徴されるように、加賀藩(前田家)は外様大名でありながら、その経済力、政治的安定性において他の追随を許さない存在でした。
外様という立場は、本来であれば幕府からは警戒されやすいものです。
にもかかわらず、幕府の将軍家から姫を正室に迎え入れるという特別な待遇を受け、
幕府との関係を良好に保ち続けたのです。
その背景には、決して表には出さないが、したたかで繊細な駆け引きがあったのだと思います。
幕末の政局が混乱する中でも、加賀藩は拙速な判断を避け、
藩論を一本化させながら慎重に動きました。
最終的には新政府側につき、戦乱の被害を最小限にとどめるどころか、
新政府からの信頼も得ることに成功しました。この柔軟さと冷静な判断力は、
まさに「加賀藩の外交センス」とも言えるのではと思います。
一方、福岡藩(黒田家)は同じ外様大名ながら、
幕末においては不安定な内情を抱えていました。
福岡藩内では、佐幕派と倒幕派の対立が激化し、藩論をまとめきれないままに時代の荒波に翻弄されていきます。
特に困ったのが、藩政の指導層が意見を一つにできず、優柔不断な対応を続けたことです。
そして福岡藩にとって致命的だったのが、幕末の終盤に発覚した「偽札事件」でした。
これは、藩財政の窮状を救うために、なんと藩が偽札を発行していたという不祥事です。
薩摩藩や長州藩のように
「軍資金を得るために藩札を乱発する」という例は他にもありましたが、
福岡藩の場合は、それが新政府に発覚してしまったことにより、
明治政府からの信用を大きく失う結果となったのです。
この事件は、ただの財政問題ではありません。
幕末という非常時に、倫理観と長期的な視野を欠いた短絡的な行動が、藩全体の信用を揺るがしてしまった例として、今もなお語り継がれているのです。
このように比較してみると、
加賀藩がいかに優れた情報収集力と判断力、そして組織としての統制を持っていたかがよくわかります。
一方の福岡藩は、内部の対立を放置し、事態に振り回されるまま、
最後は信頼まで失ってしまったという意味で、非常に対照的だと思います。
両藩の違いは、そのまま現代における組織運営や危機管理にも通じるものがあります。
状況をよく見極め、長期的な視野でバランスを取り、組織内の意見をまとめる力、
これがなければ、どんなに力のある藩(組織)であっても、
時代の波に飲まれてしまうだと言うことなのです。
幕末をどう生きるか。その問いに対する答えを、
加賀藩と福岡藩はそれぞれ全く異なる形で示してくれました。
歴史は過去の話ではなく、今を映す鏡ですね。
幕末の藩の姿から、私たちが学ぶべきことは、決して少なくないと思います。
明日は 幕末の福岡藩の話に進むのか????