EXECUTIVE BLOG
2023.5.6
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 博多どんたくの話でした。
どんたくのパレードで 何故しゃもじが使われているのか?
疑問でしたが、
たんに パレードに参加する 女性たちが音頭を取るのに都合が
良かったと言う話でした。
しゃもじと言えば 先日 広島出身の岸田総理大臣が ウクライナに 自分の地元の
お土産と言う事で しゃもじをプレゼントされていました。
そのしゃもじに 必勝の文字が書かれていたと言う事で 野党の攻撃を受けましたが
そもそも お土産品に最初から書かれている文字でしたので その後大きな
問題にはなっていなかったようです。
では ここで
広島のしゃもじについてですが
しゃもじは、広島の宮島の名産品としても知られる伝統工芸品です。
もともと縁起物として知られていたところ、
日清戦争や日露戦争が起きた際、
しゃもじで「飯取る」ことを「敵をめしとる」という語呂合わせのもと、
兵士がしゃもじを厳島神社に奉納していたことから、
さらに有名になったという説があると言われています。
でも ここで またまた不思議に思うのは
しゃもじは歴史的には弥生時代から使われていたとも言われています。
しゃもじで飯取ることから 敵をめしとるに通じるというのも納得できますが
それが 何故 宮島でなければならないのか??の
説明にはなっていないと思います
その理由と言うのが、
18世紀に宮島神泉寺で修業をした誓真さんに理由があるようです。
彼は僧侶でありながら
大変手先が器用で、しゃもじを開発し、宮島名物にした立役者だそうなんです。
宮島では稲作、畑作が禁じられていたため、
島民は年貢の代わりに大束という薪の束を収めることになっており、
山仕事が盛んな地域でした。
そういった背景から木を使った工芸品で、
宮島の弁天さんにちなんだ琵琶の形を模したしゃもじを考案して
全国にお土産として広めていったそうなのです。
名産品を作る事で宮島島民の暮らしも楽にしようと考えていたのではと思います。
また、この誓真さんは宮島にいくつも井戸を掘ったことでも有名で、
いまでも現役で使用できる「誓真釣井」という井戸が宮島の各所に
そうそうです。
名産品を作り、島の水環境を整えたこの僧侶は
土用丑の日を考案した平賀源内のように 知恵が働く人だったのではと思います。
何事にも興味を持ってみていると しゃもじ一つから歴史背景までが分かってきます。
当たり前の事を当たり前に思わず興味を持つことで 新しい事が分かる事が楽しいのですが
ここで 更に 疑問が湧きますね
当たり前のようにしゃもじの謂れが伝わっていますが
そこに 更に 何故???
が湧いてきます
それは?????
の話は
明日に続く、、、。