
EXECUTIVE BLOG
2025.11.18
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは
三島由紀夫と全共闘の討論会の話しでした。
我々世代は なんとなく 全学連とか全共闘の話しは 耳にしていましたが
最近の方々は 一体何の事かご存知ないかと思います、、、
今日は この全共闘についての話に進みます、、、
全共闘とは一九六〇年代後半の日本で急速に台頭した学生運動の一勢力であり
「全学共闘会議」の略称で、
統一的な指揮命令系統や明確な組織図をもつ通常の団体とは異なり、
大学紛争の深刻化に伴って自然発生的に生まれた緩やかな連帯体でした。
全共闘の始まりは一九六七年から六八年ごろの東大紛争が象徴的で、
医学部処分問題をきっかけに学生たちの不満が一気に噴き出し、
既存の学生団体である全学連(特に革マル派や中核派)では対応しきれない
不信感や閉塞感が広がったことから、
党派や派閥を超えて
「大学の制度そのものに異議を申し立てる」ことを目的に学生が結集し、
結果として大学全体を巻き込む広がりを見せたのが全共闘であり、
伝統的な左翼団体の枠組みに収まらない“新しいタイプの運動”として注目されました。
彼らが目指したものは、
単純な授業料値上げ反対や処分撤回といった個別要求にとどまらず、
大学という制度そのものの在り方、
さらには戦後民主主義社会の根本的矛盾まで問い直すという極めてラディカルなもので、
教授・学生という上下関係の否定、学問の権威性への疑問、
管理社会化する日本への抵抗といった思想が混在し、
「既存のすべての権威への反乱」という言葉で表されることも多く、
六八年パリ五月革命やアメリカの反戦運動などと並んで
世界的な“六八年革命”の潮流の中に位置づけられる存在でした。
全共闘は明確なリーダーを持たず、
緩やかに結びついた多様な学生の集合体であったため、
大学ごとに異なる活動が展開されましたが、
とりわけ東大、日大、京大、早稲田などで激しい紛争が起こり、
バリケード封鎖、学内の自治要求、教授会との激しい対立などが連日のように報じられ、
社会問題として国会でも取り上げられるほどの影響力を持つに至りました。
全共闘が目指していたのは単に大学改革だけではなく、
戦後日本が表面上の豊かさを手に入れる一方で
深い精神的空洞を抱えているという認識に基づき、
制度的管理に従順になっていく若者を自覚的に解放し、
自己と社会を根本から問い直すという大きなテーマであり、
そこには既存の政治党派では語られなかった実存的な問いが含まれており、
その象徴が一九六九年五月十三日に行われた三島由紀夫との討論会であり、
全共闘側は自らの主張が文学者であり思想家である三島にどう響くかを確かめようとし、
三島は学生たちの激情の奥にある“生の実感への渇望”を読み取りながら、
彼らの言葉と自らの武士道的思想をぶつけ合い、
戦後日本の精神性をめぐる歴史的議論が生まれたのでした。
全共闘は一九七〇年前後をピークとして次第に沈静化し、
一九七〇年安保闘争が失敗に終わると運動全体は急速に勢いを失い、
各大学のバリケードが解除されるにつれて
「運動としての全共闘」は解体していきましたが、
それでも全共闘の経験はその後の市民運動、文化運動、芸術表現に大きな影響を残し、
管理社会・受験競争・経済至上主義などへの批判精神は形を変えながら現在にも続いており、当時活動した元学生たちの多くは
研究者、ジャーナリスト、芸術家、企業人などとして社会に散り、
それぞれの場所で「自分の頭で考える」という全共闘的精神を持ち続けていると言われます。
現在において全共闘が組織として存在するわけではありませんが、
その思想の断片は社会のさまざまな場面に影響を及ぼしており、
構造的な不公正や監視社会化への批判、
若者の主体性を尊重する教育論、政治的無関心への警鐘など、
形を変えた“全共闘的感性”は今も時折顔を出し、
特に現代の学生たちの間で「六八年の精神」への再評価が進んでいるのは、
終わりの見えない競争社会や閉塞した未来像に対する不安が
当時とどこか似ているからとも言われています。
全共闘とは単なる学生運動の一勢力ではなく、
体制への怒りではなく既存の価値観そのものへの根源的な疑問から生まれた運動であり、
一時的に消滅したかに見えながらも、
その精神は繰り返し再発見される“問いそのもの”として現代まで静かに息づいており、
社会がどれだけ変化しても
「人はなぜ権威に従い、なぜ自由を求めるのか」
という普遍的テーマを私たちに突きつけ続けているのです。