EXECUTIVE BLOG
2022.3.25
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 仏教の話から 葬式の話になり
それから 皇室の葬儀の話へとなってしまいました。
しかし この世の中知らない事ばかりですね、
天皇家の葬儀がこんなに大変だとは 誰も知らなかったでしょうし
その苦労を少しでも緩和しようと 上皇様は考えていらっしゃるのです。
宮内庁関係者や侍従の大変さをご存知だからなんでしょう。
昭和天皇の時代 終戦の日の 八月十五日 皇居へ侵入した反乱軍によって
宮内庁職員 侍従が人質になった時も大変だったと思いますが
今日はこの話ではなく
天皇陛下の棺を担ぐ一族の話になります。
八瀬童子と呼ばれる人々を知っているでしょうか?。
八瀬童子は比叡山延暦寺に属し、別名「鬼の子孫」とも呼ばれているのです。
天皇とも強い結びつきを持ち、天皇と関わりの深い葵祭にも欠かせない存在となっているのが八瀬童子なのです。
この八瀬童子とは、比叡山のふもと、
京都府の八瀬に暮らす人々の古くからの呼び名なのです。
「童子」という言葉から子どもを連想させますが、子どものことではないのです。
八瀬童子は薪や炭を作り、それを売って生計を立て、
同時に比叡山延暦寺の雑役や、天台座主の輿を担ぐ駕輿丁と呼ばれる役に就いていました。
そして室町時代以降は朝廷の儀式などで駕輿丁を務め、
天皇の輿を担ぐ任に就いていたのです。
寺で働く者は髪をおろした状態の大童と言われる姿であった事と、
履物が草履で子どものように見えることから、八瀬童子と呼ばれるようになったそうです。
1336年に足利尊氏から逃れ京を脱出した後醍醐天皇を比叡山に逃がすため、
八瀬の村人が天皇の輿を担ぎ、弓矢を手に取って行列を守ったと言われています。
その働きにより、労役や土地に対する税金を免除するという特権が与えられました。
その後、八瀬童子は、
代々の天皇や上皇の行幸や葬送の際に輿を担ぐ「駕輿丁」の役に就くようになりました。
一時はその任が途絶える期間もありましたが、
明治天皇・大正天皇の大喪においては、
葱華輦という天皇の棺を納めた輿を担ぎ参列したのです。
しかし昭和天皇の大喪では、
警備上の理由から八瀬童子が輿を担ぐことはできませんでした。
昭和天皇の時の担ぎ役は 皇宮警察がうけもったそうです。
本来であれば 長い伝統の元 八瀬童子が行うのが筋でしたが
これも時代の流れかもしれません。
しかし 八瀬童子がこの任務を請け負っていれば 世の中の人は
彼らの存在を知ることが出来たのでは?と思ってしまいます。
日本の一部にこのような一族が住んでいる場所があるという事を
改めて認識させられます。
まだまだ 日本には知らない事が多くあると思います。
日本には フリーメーソンより古いと言われている秘密結社が
今でも残っているようですし
日本を支配するある町が 山口県にあるらしい?? と言う話などがあります。
明日は
この秘密結社の話になるのか???
それとも 謎の町の話か???????
それとも銅像の話に戻るのか????????
それは
明日に続く、、、、、。