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社長&顧問ブログ

2024.6.18

公益財団法人斯文会

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 孔子の話から儒教の話でした

ひとたび 興味を持つと そこからさらに興味が湧きだしてきます。

 

日本の湯島と長崎に孔子廟があるのですが

 

何故そこに出来たのか?? とかにも興味が湧きますね、、、。

 

東京には、文京区にある湯島聖堂が該当します。

この湯島聖堂は、江戸時代の元禄3年(1690年)に

江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、

後に幕府直轄の学問所となったのです。

そういう事で

湯島聖堂は、日本の学校教育発祥の地としても知られています。

また、湯島天満宮とともに、

年間を通して受験生が合格祈願のために訪れる場所なのです。

 

現在、湯島聖堂は国の史跡に指定されていますが

ここで 興味があるのは

一体誰が これを運営しているか? なのです。

 

そこに あるからそうなのだではなく

これだけの一等地にしかも手入れも行き届いていて

東京のど真ん中にある事を忘れてしまいそうな場所です。

 

実はここを管理しているのは

公益法人でもある 公益財団法人斯文会なる団体なんです。

 

1918年に戦前の教化団体の一つとして、

漢学の復興・教育勅語の翼賛・国体精神の普及を目的として創設された団体です。

 

ただし、国体精神を阻害しない限りで大正的な民主主義や個人主義との調和も目指していたそうです。

 

会員は創設以来、

服部宇之吉をはじめとする東京大学の中国哲学・中国文学研究室の関係者で、

渋沢栄一をはじめとする二松学舎の関係者も多かったようです。

 

二松学舎とは 何なんだ?? と思う方もいるかと思いますが

これは又後でと言う事で、、、、

 

会名の「斯文」は、

『論語』子罕篇に由来する言葉で、「儒教」の同義語だそうです。

 

『論語』の「子罕篇」は、孔子の晩年に記された言葉が収められています。

孔子が稀にしか語らなかった事が記されているそうです。

 

この篇では、孔子が後ろ盾を得て魯国に戻った際の出来事や、

彼の人となりについて語られています。

また、別の解釈では、

「過ぎ去っていくものは皆このようなものなのだな、昼も夜も変わることがない」

という意味を持つ言葉としても知られています。

 

因みに

公益財団法人斯文会の会長は 現在は誰だか分かりませんが

二年前までは 石川忠久さんと言う方で 二松学舎の理事長もされた方です。

 

こうなると

二松学舎も気になりますね

 

この学校の言葉の意味も気になる所です

 

その話は???

 

明日へ続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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