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社長&顧問ブログ

2025.7.21

共栄圏構想がなかったら

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 大東亜共栄圏を肯定的に見た場合の世界平和についての話しでした。

今日は 歴史に もしも はありませんが、、

もし 日本が明治維新後 富国強兵策を取らず 日清戦争 日露戦争に敗れて

大東亜共栄圏構想も打ち出せなかったら 一体 日本やアジア各国は

どうなっていたのか? について 話を進めたいと思います、、。

 

明治維新以降、日本は急速な近代化を進めました。

江戸時代の鎖国体制を打ち破り、西洋列強と肩を並べるために

「富国強兵」「殖産興業」というスローガンのもと、

教育、軍事、産業、法律などあらゆる面で

欧米の制度を取り入れて国を強くしようと努力しました。

 

その努力の中で、日本は日清戦争、そして日露戦争という

大きな国際戦争に挑むことになります。

 

特に日清戦争は、同じアジアの大国であった清との戦いであり、

朝鮮半島の支配を巡る主導権争いでもありました。

そして日露戦争は、当時世界屈指の軍事大国であったロシアとの戦争であり、

当時の世界の誰もが日本の勝利を予想していなかった戦いでした。

 

しかし結果として日本は両戦争に勝利を収めました。

 

日清戦争では下関条約により台湾を得、

日露戦争ではポーツマス条約により南樺太を得て、

韓国を保護国化しやがて併合しました。

 

これらの勝利は、

日本が欧米列強に肩を並べる国家として認められる大きな転換点となり、

またアジアにおいて唯一、

欧米列強の植民地支配を跳ね除けて自立した国家の存在として、

他のアジア諸国にとっても大きな希望と勇気を与えるものとなりました。

 

昭和に入ると、世界は大きな不安定さを増していきます。

世界恐慌、ブロック経済、

そして列強による植民地支配の強化といった中で、

日本は「アジアの中の日本」としての役割を

強く意識するようになります。

 

その中で生まれた理念が「八紘一宇」という精神でした。

これは、「八紘(あまねく世界)を一つの家のようにする」という理想のもと、

人種や国境を越えて共存共栄を目指すという思想であり、

それをもとに打ち出された構想が「大東亜共栄圏」でした。

 

大東亜共栄圏構想は、

日本を中心に東アジアから東南アジアまでを一つの共同体としてまとめ、

欧米の植民地主義から解放し、

アジアの人々によるアジアのための政治・経済の

秩序を築こうという壮大なものでした。

 

これにより、日本は実際にアジアの各地で欧米列強と戦い、

植民地支配を打破しようとしました。

 

フィリピン、インドネシア、ビルマ(現ミャンマー)、ベトナムなど、

欧米の支配下にあった多くの国々が、

戦争を通じて独立への道筋をつけていくことになります。

 

もちろん、その過程では多くの犠牲や矛盾があったことも事実ですが、

それでも日本の存在が

アジアにおける欧米支配を揺るがしたことは間違いありません。

 

もしここで想像してみましょう。

 

仮に日本が日清戦争や日露戦争で敗北していたらどうなっていたでしょうか。

日清戦争に敗れていれば、朝鮮半島は清の支配下に残り、

その後はロシアによって支配されていたかもしれません。

 

日露戦争に敗れていれば、ロシアが朝鮮半島から満州にかけて進出し、

太平洋への出口を得て、

極東全体がロシアと清の分割支配下に置かれていた可能性もあります。

 

その結果として、日本自体が欧米列強、

あるいはロシアによる植民地化の危機に瀕していたかもしれません。

 

日本が独立国家としての存在を保ち得なければ、

当然のことながらアジア解放の構想もあり得ませんでした。

 

そして大東亜共栄圏構想も打ち出されず、

東南アジア諸国の多くは依然として欧米の植民地のままだったことでしょう。

 

つまり、インドネシアはオランダ領のまま、

ビルマはイギリス領、フィリピンはアメリカ領、

ベトナムはフランス領という状態が今なお続いていたか、

あるいは独立がもっと遅れていた可能性が高いのです。

 

現実には、第二次世界大戦を経て、

アジアの多くの国が独立を果たしていきます。

その過程において日本が欧米列強と戦い、

アジア諸国に「欧米を打ち破ることは不可能ではない」

という現実を見せたことが、

彼らの独立運動を大きく後押ししたのは紛れもない事実です。

 

たとえば、インドの独立運動を率いたネルーやガンディーも、

日本の台頭に一定の影響を受けています。

 

ビルマ独立の父と呼ばれるアウンサンは、

日本と協力しながらイギリスに立ち向かいました。

インドネシアのスカルノもまた、

日本軍政下で独立の準備を進め、戦後に独立を宣言しています。

 

日本が日清・日露戦争に勝ち、独立を維持し、

大東亜共栄圏構想を打ち出し、欧米列強と対峙したからこそ、

アジアに独立の気運が生まれたのです。

 

このように見ると、戦争そのものの是非を別にしても、

日本がアジアにおいて果たした役割は非常に大きく、

意義深いものであったと考えることができます。

 

もちろん戦争には多くの痛みが伴いましたし、

全てが理想通りにいったわけではありません。

しかし、大局的に見れば、日本が戦ったことにより、

アジア諸国がそれぞれの民族と文化を取り戻し、

自らの国を築くことが可能になったのです。

 

今、東南アジア各国が独立国家として経済発展を遂げ、

世界と対等に関わっている背景には、

あの時代の日本の行動が少なからず影響していることを、

私たちはもっと正しく評価すべきなのかもしれません。

 

歴史には光と影があります。しかし、

その中で日本がアジアに希望の光をもたらした面もあったということを、

忘れてはならないと思うのです。

 

明治以降の日本の歩み、日清・日露戦争の勝利、大東亜共栄圏構想の提唱と実行、

そして戦後のアジア独立の流れは、

一本の糸でつながった大きな流れであり、

そこにあった日本の志と努力は、

今のアジアの平和と安定につながっているのではないでしょうか。

 

だからこそ、過去の出来事を一面的に否定するのではなく、

その背景や意図、成果に目を向け、

そこから現代の私たちが学び取るべきことがあるのだと思います。

 

日本がアジアのために果たした役割は、

今こそ見直されるべき時に来ているのかもしれません。

 

明日は 大東亜共栄権構想が確立していたら

日中韓は どのような姿になっていたのか???

 

に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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