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2025.8.7
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 天皇陛下は原則、出雲大社には参拝されないと言う話でした。
この事を話したら ある方から
「でも 皇室から出雲大社に嫁いでいる方がいる」 との疑問の声がありました。
今日は この話について進みます、、、。
天皇陛下が伊勢神宮には参拝される一方で、
出雲大社には参拝されないという話を聞くと、
なぜだろうと不思議に思う方も多いでしょう。
伊勢神宮も出雲大社も日本を代表する神社であり、
神話や歴史に深く関わる由緒ある場所です。
両者ともに古代から崇敬を集めてきた神社でありながら、
天皇の参拝に関して明確な違いがあるのはなぜかという疑問には、
長い歴史と深い信仰の背景が関係しています。
まず伊勢神宮は、天照大神という神様をお祀りしており、
この天照大神は皇室の祖先神とされています。
古事記や日本書紀によれば、
天照大神は高天原という神々の世界に住む神であり、
その子孫が地上に降りて国を治めるように命じられたとされています。
その子孫が神武天皇として即位し、現在の天皇家へとつながっていくのです。
このように伊勢神宮は、
天皇家にとっては自らの祖先を祀る聖なる場所であり、
国家と皇室の正当性を示す重要な神社なのです。
明治天皇以降、伊勢神宮への親拝は天皇の重要な儀式となり、
現在の天皇陛下も即位の際には伊勢神宮を参拝されておられます。
これに対して出雲大社に祀られているのは、大国主大神という神様です。
この神様は国づくりの神、縁結びの神として有名ですが、
日本神話の中では、もともと地上の国を支配していた存在でした。
やがて天照大神の命を受けた神々が地上に降りてくるにあたり、
大国主大神は自らの国を譲るという「国譲り」の神話が語られています。
この国譲りの神話では、大国主大神は目に見える現実の国を譲り、
見えざる幽界の主としての立場に移ることになります。
ここに伊勢と出雲の神々の大きな違いが存在します。
伊勢神宮の天照大神は皇室の祖であり支配者側の神であるのに対して、
出雲の大国主大神は支配を譲った側の神という位置づけなのです。
この神話的背景が、天皇の参拝対象にも影響を与えてきました。
天皇が伊勢神宮に参拝することは、
自らの祖神に拝礼し国家の安泰を祈るという極めて自然な行為ですが、
出雲大社に参拝することは、神話的にみると
「譲られた側の子孫が譲った神に頭を下げる」
という構図になってしまう可能性があるため、
古代から極めて慎重に扱われてきました。
もちろん出雲大社が軽んじられているわけではなく、
歴代天皇や朝廷も出雲大社に対して幣帛を奉納したり、
勅使を派遣したりするなどの敬意を表してきました。
ただし、
天皇自らが足を運ぶ御親拝という形式は避けられてきたというのが事実です。
これは神社の格式の問題ではなく
神々の役割と皇室との関係性を考慮したうえでの伝統的な配慮なのです。
また戦後、日本国憲法のもとで政教分離の原則が定められ、
天皇の宗教的行為についても
「公的行為」か「私的信仰」かという議論が常に伴うようになりました。
その中で、伊勢神宮は皇室の私的な信仰の対象として、
今も変わらず参拝が行われています。
一方の出雲大社は、
全国の人々が参拝する普遍的な神社として位置づけられており、
天皇が公式に参拝することは控えられていると考えられます。
実際、近代以降の歴史を見ても、
天皇陛下が出雲大社を公式に参拝された記録は存在せず、
勅使の派遣や幣帛の奉納といった形式にとどまっています。
では皇室と出雲大社にまったくご縁がないかというと、
そうではありません。
現代において非常に象徴的な出来事として記憶されているのが、
2014年に高円宮家の三女・典子女王殿下が
出雲大社の権宮司・千家国麿氏とご成婚されたという事例です。
典子女王殿下は、今の上皇陛下のいとこにあたる皇族であり、
宮中祭祀にも深く関わっておられた方です。
このご成婚により、典子様は皇籍を離れ、
「千家典子」さんとして出雲大社の宮司家に入られました。
これは戦後初の皇族と神職名家とのご婚姻であり、
皇室と出雲大社とのご縁が現代に引き継がれた出来事として、
多くの人々の関心を集めました。
これにより、公式な参拝こそないものの、
皇室と出雲大社の間には
信仰や儀礼を超えた深い縁が存在していることが広く知られるようになりました。
このようなご縁は、神話の中での神々の譲り合いの精神が、
人と人とのつながりとして現代にも受け継がれているようにも思われます。
また出雲大社では毎年10月に神在祭が行われます。
全国の神々が出雲に集まるとされるこの祭りは、
日本各地が神無月と呼ばれる中で、
出雲だけは神在月と呼ばれるという特徴的な文化を今に伝えています。
このように出雲大社は、伊勢神宮とはまた異なる形で、
全国の信仰の中心として特別な位置を占めているのです。
まとめると、
天皇陛下が伊勢神宮に参拝されるのは、
皇祖神に対する感謝と国家の平和を祈るためであり、
皇室の歴史と精神に深く根差した儀式です。
一方で出雲大社には、神話上の国譲りという繊細な背景があるため、
天皇の参拝は歴史的に慎重に扱われてきました。
しかしその一方で、高円宮家の典子様のご成婚に見られるように、
皇室と出雲大社のつながりは今も確かに存在しており、
儀式ではなく人のご縁という形でその関係が静かに息づいているのです。
神話の世界で語られた尊い譲り合いの精神が、
現代においても互いに尊重し合い、
静かに結び合う形で続いているのだとすれば、
それは日本の伝統と信仰の奥深さを感じさせてくれる
美しい在り方なのではないでしょうか。