EXECUTIVE BLOG
2022.4.20
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは マリリンモンロー遺体を検視した
野口 恒富さんの話でした。
彼は米国ではトーマス野口の名前として 有名ですが
正真正銘の日本人です。
この野口さん 私と同じ福岡県生まれという事なので、 もう少し野口さんネタを続けます。
彼が著名になった後に メディアから
日本人としてアメリカで成功を収めた秘密はどこにあるのか?と聞かれると、
野口さんはまず
「世界を見据えた大きな目標を持つ必要がある」
と言われていました。
彼は高校に入った時点で、
「世界で活躍する法律を理解した医師」になることを決めていたそうです。
その理由と言うのが、「父親の医療事故トラブル」があったからなのだそうです。
野口さんがが13歳の時に耳鼻科を開業していた父親の患者が急死してしまい、
その結果、医療事故を疑われてしまったのです。
その時の患者の遺族は野口さんの父親を刑事告訴したのでした。
野口さんの父親は解剖をして死因をはっきりさせるように当局に要求したのです。
その当時は解剖で死因を特定するケースはほとんどなかったのですが、
野口さんの父親の強い要望を受けて例外的に解剖が行われました。
その結果、父親の医療事故は冤罪だったことが明らかになったのでした。
この時にまだ少年だった野口さんは目の当たりにした事が元になって
法律と医学が絡む法医学の道に進むことを心に決めたというのです。
野口さんは後年
「向かう先がない者には進むべき道は見えないし、今何をすべきかどうかも分からないのではないか」。
と語っています。
そして「行き先」を定めた野口はさんは決してぶれる事無く、
日本でもアメリカでも法医学という分野は一般的にはほとんど知られていなかった時代に、日本医科大学に通う傍ら、夜は中央大学の法学部に通って法律も猛勉強したそうです。
そして実家のある横須賀に戻るたびに米海軍病院に通うようになり、医療の進んだアメリカに渡ることを決意したのです。
しかもその頃には、彼はアメリカで「学ぶ」だけでなく、アメリカに「勝つ」という想いを抱くようになっていたのです。
そしてアメリカで一番の法医学者になる事を決意してアメリカに向かったのです。
アメリカでは人種差別を受けながらも各地を見て回り
どこに行けば自分が早く局長になれるのかを探ったのです。
局長になれば、アメリカで「勝つ」という目標に大きく近づくからだったのです。
そして管轄する都市と局の規模などを考えると、ロサンゼルス地区検視局がもっとも適当だと考えそこに入局したのでした。
検視局長になるには、超難関である法病理専門医の認定試験をパスし、局長の選抜試験で高得点を得た上で、地区の最高機関である参事会から承認される必要がありました。
これは本当の実力勝負です。
野口さんは猛勉強で試験でトップの成績をマークし、また日常的な解剖業務でも、
休みを返上して、休みたい同僚のシフトもこなすほど働いたそうです。
そうした日常の努力を決して怠らなかったからこそ最後は検視局長の座を掴んだのだと思います。
彼は 貧乏学生の時、 家の電気もつかない時には 寒い日でも外灯の下で本を読んで
勉強していたそうです。
このような努力を続けて米国で夢を実現したのです。
外灯の下で本を読んで勉強していたという事から
ある日本人のことが浮かびました。
この日本人に関するモノが
実は日本中のあちこちにありますから きっとどこかで見たことがある方も
多いかと思います、
この日本人は誰なのか????
そして何をした人のか??????
それは???????????
明日に続く、、、、、。