EXECUTIVE BLOG
2024.6.24
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 元号の話でした。
一体いつからどのようにして元号が成り立って来たのか?
今では 元号法があり 天皇一世につき 一元号ですが
昔の様に 何か縁起をかついだり 災難が起こるたびに元号を変えられていたなら
今回のコロナ禍の時も 新元号に替えていたかもしれませんね、、、
今の元号は政府主導で決めていると思いますが 江戸以前は幕府ではなく朝廷が
決めていたのでしょう。
縁起を担いでいたと言えば その昔 北斗七星が関係したと言われていますが
何故 北斗七星なのか??にも 興味が湧きますね、、、
奈良時代には亀の甲羅に北斗七星の模様が浮かんだので縁起がよいと言われてますが
何故亀の甲羅でなければならないのか? 何故そこに他の正座ではなく北斗七星なのか? とかです。
北斗七星に長生きや幸福を祈る事は 奈良時代の庶民の間で流行っていたようで
これを 北辰信仰と言ってました。
ご承知のとおり 北斗七星になる北極星は 北半球でではそこを中心に宇宙が回っているかのように見える事から 信仰の対象となったのだと思います。
この北辰信仰は 中国では妙見信仰とも言われていました。
妙見菩薩は、仏教の天部の一つで、北極星または北斗七星を神格化した存在だったからです。
この信仰が中国で発祥した菩薩信仰が道教の北極星・北斗七星信仰と融合し、日本に伝わりました。
妙見菩薩は、国土を守り、災難を除去し、敵を退け、人々の寿命を延ばす福徳ある尊像として崇拝されていたのです。
北辰信仰は、中国では見かけ上不動の恒星で、天空の星座がこの星を中心として回転することから方位を定めるのに利用され、最も尊貴な星とされて、天帝太一神の居所とされ、星座は紫宮や紫微宮と呼ばれ、漢代には太一神の祭祀が行われていました。
妙見信仰は日本でも広まり、多くの寺社で崇められているのです。
この妙見信仰は信濃から関東・東北にかけての牧場地帯に多く見られるそうです。
何故東北に多いかといいますと
妙見信仰が日本へ伝わったのは7世紀のことで、
高句麗・百済出身の渡来人によってもたらされたものと考えられており。
当初は渡来人の多い近畿以西の信仰でだったのですが、
渡来人が朝廷の政策により東国に移住させられた影響で東日本にも広まったからだと言われています。
この妙見信仰で有名な神社が 千葉にある千葉神社だと言う事ですので
近いうちに 一度訪問して 詳しく調べみようと思います。
いずれにしても 古代から 沢山の星のなかで そこを中心として宇宙が回っていると
思ったことから 北斗七星は縁起が良いと言われるようになったのだと
推察されますね、、
では 亀は何故縁起が良いとされるのか??
それは鶴は千年 亀は万年だからだよ と言われるかもしませんが
亀が万年も生きれるはずがありません
なのに何故と思いたくなります、
それは???
明日に続く、、。