EXECUTIVE BLOG
2023.6.28
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日は
北海道に沖縄の沢と言う場所がある話でした。
よくよく考えてみますと
明治初期に 日本中から移民を受け入れていたので
北海道には 日本各地の名前が残されているようです
昨日 ある方から先祖が伊達藩の方で 伊達藩も北海道開拓に多くの藩士が
移民したと言われていましたので
少し調べてみました、、、
北海道に開拓使が設置された明治時代初期の頃
北海道は道外の諸藩等によって分領支配が行われていた時代があったのです。
38団体・個人がわずか2年間でしたが分領支配していたそうです。
その中でも北海道開拓に意欲的だったのは、戊辰戦争で破れて領地を削減されていた関係で新天地を求めていた仙台藩だったそうです。
私の知人のご先祖様も新天地を求めて北海道開拓へ出向いたのではと思います。
他には、北海道開拓に熱意のあった佐賀藩、水戸藩、斗南藩だったそうです。
特に仙台藩関係では、
仙台藩が(日高)沙流郡、(根室)標津郡・目梨郡、(千島)紗那郡・蘂取郡、を支配し
士族では伊達邦成が(胆振)有珠郡・虻田郡・室蘭郡を支配し、
石川邦光・片倉邦憲が(胆振)室蘭郡を伊達邦直・伊達宗広・亘理胤元が(石狩)空知郡をそれぞれ領有していたそうです。
中には他の藩が返上した地域を引き継いで領有した例もありますが、
いずれも領有支配期間終了まで経営に勤しみ、たとえば伊達市の地名の由来になるなど、多大な功績を残したのですね。
北海道伊達市と言われてもピンと来ないと思いますが、
北海道の中でも道南と呼ばれる南寄りに位置し、北海道独特の地方名で言うところの胆振地方にあたり、 室蘭の近くだと思えば良いかと思います。
この伊達藩 そもそも何故北海道に行ったかですが、
江戸時代末期に戊辰戦争が起こります。
この戦いで敗北し、石高は大幅に削られ、領地も一部他の藩のものとなってしまいました。
伊達藩は旧幕府軍について戦っていたため、錦の御旗を掲げた新政府軍から朝敵とみなされておりました。
この逆賊の汚名を返上するために、
新政府が当時頭を抱えていた蝦夷地開拓を自ら願い出て、北方警備をしようと考えたのが
北海道開拓の一つの様です。
その時に明治政府からの指示で 今の伊達市の近くの有珠山で有名な 有珠の辺りを
領有することになったのです。
当然初めての土地ですから 右も左も分からなかったと思います
そこで 先住民であるアイヌ人の力を借りる事にするのですが
だいたい 後から来て領有する権力者は地元の人間を迫害したり 奴隷のような
扱いをするのでしょうが
伊達藩の人々は違いました
そして下記のような通達を出したのです
一、何事においても、真実を大切なことと心得て、礼儀廉恥の風をきびしく守ること。
一、アイヌの人びとをみだりにあざむき、いつわったり、あなどったりしないこと。
一、アイヌの人びとと品物を交換したり、勝手にはたらかせたりしてはいけない。
一、 馬でものを運ぶ仕事をたのみたい場合は、担当者に申し出て、指示を受けること。
一、アイヌの人びとの家に、みだりに出入りしてはならないこと。
このような通知があったこともあり、アイヌの人びととは仲良く暮らしていたと伝えられているようです。
伊達藩の人々の素晴らしさを垣間見る事ができますね、、、。
他にも
色々な本州の地名が北海道にはありますが
全部調べるのも大変ですので
明日は
話を戻して
札幌にある あの人
の話に、、、、、
に続く、、。