EXECUTIVE BLOG
2021.9.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日は またまた 話が逸れてしまって
江戸時代の黒船の話になってしまいましたね
前にも書きましたが
毎朝起きて いきなりぶっつけ本番で書くので
昨日の分をよく読んでその続きを書くと言うより それに連想されて
思いついてしまった事から書いてしまうので
話はいつも逸れまくりになっています
しかし 前からの続きがなんであるかは それはそれで把握していますので
OA機器に関しての発明がなんであったのか? の続きも書かなければなりせませんし
麻布十番での出来事の続きもあります。
又 今回のNPS指導員が 倉庫に視察に来た時の 衝撃の一言を
ヒントにして 新しいビジネスモデルを構築することになると言う話へと
進展しなければならないのです。
しかし ここで またまた江戸時代の話に逆戻りしてしまうと言う悪い癖が出てしまいました。
先日書きましたように 日本は鎖国を行っていたのですが オランダからは情報が入って来ていたのです。
そのオランダから 西欧列強が日本を狙っている事と
黒船が日本へ来ると言う情報は一年前には 幕府には入っていたのです。
いつも書いていますが 情報は入って来るだけでは意味がありませんね それをきちんと
分析して対応を図らなければ意味がないのですが
どうも歴史をみていると 情報より大事なのが精神論みたいなものがあり
何かあれば神風が吹く的なノー天気なところがあるのではと思ってしまいます。
黒船がやってくるのであれば それに対応するにはどのような手を打たなければならない事を考えなければならないのに
幕府の威光を見せつければ 敵は恐れをなして逃げ帰るだろうと言う考えしかなかったのではと思ってしまいますね
今でも人気番組の 水戸黄門では 最後に徳川の紋所を見せつけると 爺さん相手に威勢が
良かった連中が平伏すシーンがありますが
当時の幕府も 徳川の威光の前に 例え黒船だろうが 恐れをなして逃げ帰ると言う
考えが主流だったのではと思ってしまいます。
だから 一向に手を打たずに 届かない大砲しか作らないし 対峙出来るくらいの船すら作らなかったのです
昔の絵を見ると 一本マストの千石船を見かけるのを覚えていますか?
小さい船に一本のマストが張られている船です
そもそも何故 このような船しかなかったのか? と言う疑問はわきませんか?
よくよく考えたら 当たり前の話ですが
日本は鎖国を守っていたので 遠く海外に行くことなど出来るわけなかったのです
ですから 遠洋できる大船の建造は禁止されていたのです。
もし この禁を破れば死罪にされかねないのです。
又 大砲の建造などもってのほかで こんなものを各藩が持てば
いつ幕府に対して攻撃を仕掛けるか分かりませんので そんなものを作ることを
許すはずがなく 大砲の研究などしても無かったようです。
鎖国時代は 徳川の紋所を見せれば 相手は平伏すのですから幕府もそんなものはつくらなかったのでしょうね
しかし 大国が押し寄せて来るかもの情報は耳に入りだし とりあえず大砲は作ったようです。
ここで 又話が逸れてしまいますが
この大砲の訓練をしたところが 江戸にあったのです。
そこは 当時 たしか 徳丸ヶ原と呼ばれていた地域で
ここは
今 大砲の砲術師の名前をとって 呼び方が変わりました
この地名が今も残っていますが
多分知らない方は居ない位有名な地名です
えっ そこが 大砲の訓練場所だったの???
思うくらい 今は変わってしまっていますね
さて
その場所とはどこか???
そして
話は 前に進むことになるのか????
それは
明日に続く、、。