EXECUTIVE BLOG
2025.1.14
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
昨日からの続きです。
昨日までは なかなか平安時代の話しから抜け出せず
和気清麻呂の話になり 彼を祀っている神社が 調べてみますと各地にある事が
分かったと言う話でした。
そして 面白い事に和気神社の狛犬は 狛イノシシだと言う事で
これも 新たな発見でした。
和気清麻呂の話は これくらいにて終わり
正月気分も抜ける 10日になると 今度は 十日恵比寿と言う大祭が各地の
恵比寿神社で行われていますね、
これは 商売の神様と言われていて 私も 十日前後に
博多にある十日恵比寿神社に前は よく行ってました。
これも 一月十日になれば 恵比寿様だと なんの疑問も感じないで
しかも ビジネス成功の為には行かなきゃと言う常識に駆り立てられて参拝してました。
他の地区は知りませんが 博多は 前後数日間行われており
その時の賑わいは驚くほどです。
この大祭が無い時に この神社を訪れた時は あまりに寂しい場所で 人気も無いのにも
驚かされました、
一年でこの大祭で成り立っているのではと不謹慎な事を思ってします程です。
博多の十日恵比須神社は、1592年文禄元年1月10日に創建されたそうです。
その起源は、創建の前年の1591年1月3日、
香椎宮・筥崎宮を参拝した帰りに、香椎浜で恵比須神の御尊像を拾い上げたことに始まるそうで、
翌年、その場所に社殿を建立し、恵比須神を祀ったのが当社の始まりです。
最初は小さな祠だったのでしょうが、
その後、1681年に博多の崇福寺境内に社殿を再建して、
1879年明治12年には福岡県の指示により現在の東公園に遷座されたと言う事です。
このように、博多の十日恵比須神社は創建以来、複数回の遷座を経て現在の場所に至っていまして
現在地への遷座は1929年昭和4年であり、以降、博多の地で商売繁盛や縁結びの神として多くの人々に親しまれているのです。
ここで またまた興味が湧いたのは
一体だれが 香椎浜で御尊像を拾い上げたのか?? でした。
実は
恵比寿神の御尊像を拾い上げたのは 福岡藩士・福富太郎兵衛 という人物なんです。
福富太郎兵衛が香椎宮や筥崎宮を参拝した帰りに、
香椎浜で漂着していた恵比寿神の御尊像を発見したのです。
その後、福富太郎兵衛は、この御尊像を「吉兆」として自宅に持ち帰り、
信仰の対象として大切に祀っていたのですね
そして発見の翌年の1592年(文禄元年)1月10日、福富太郎兵衛が自宅付近に社殿を建立し、正式に恵比寿神を祀ったのが、十日恵比須神社の始まりとされているのです。
海から拾い上げたものがその後吉兆になる話は良く耳にするのですが
いつも不思議なのか なんで そんなのが しょっちゅう海から出て来るのか??
と言う事でした
その訳とは???
の話は
明日へ続く、、、。