EXECUTIVE BLOG
2025.2.13
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 11日が 建国記念の日でしたので その話しでした。
しかし 建国記念日とするのではなく 建国記念の日 と の を一字入れるだけで
右翼的な表現ではなくなると考えた人は凄いと思います。
このように出来ないと思うのではなく 出来るようにするためにはどうするか?を
考える訓練を心がけたいと 改めて思うのです。
で今日は 何故GHQが 祝日までを変更させるべくしたのか???の話に、、、。
第二次世界大戦後、日本はGHQ(連合国軍総司令部)の占領下に置かれ、
さまざまな改革が行われました。その一環として、
日本の祝日や伝統的な風習の一部にも変更が加えられたのです。
GHQがどのような意図でこれらの改変を行ったのかの具体的な事例についてです。
かつて2月11日は「紀元節」として祝われ、日本神話に基づき、
初代天皇である神武天皇の即位を記念する日とされていました。
しかし、GHQはこの祝日を「国家神道と結びついたもの」と考え、
1948年に廃止させたのです。
その後、1966年になって「建国記念の日」として再び制定されましたが、
神話的な要素を控えめにし、「建国をしのび、国を愛する気持ちを育む日」としての意味合いが強調されるような表現にされました。
また戦前、天皇の誕生日は「天長節」と呼ばれ、国を挙げて祝う大切な日でした。
しかし、これもGHQの方針により、よりシンプルな「天皇誕生日」という名称に変更されました。
これにより、祝日としての意義は保ちつつも、
政治的・宗教的な側面が抑えられる形にしてしまったのです。
明治天皇の誕生日である「明治節」(11月3日)や、
神道の重要な祭日「神嘗祭」(10月17日)も、GHQの改革の中で祝日から外されました。しかし、明治節はその後「文化の日」として復活し、
学問や芸術を尊ぶ日として今に受け継がれています。
GHQがこうした変更を行った背景には、主に次の3つの目的があったと考えられます。
一つ目が、
戦前の日本では、国家神道や天皇を中心とする祝日が国民の結束を促し、
軍国主義の強化につながる側面がありました。
GHQはこうした要素を減らし、戦争を想起させることのない形へと変えようとしました。
二つ目として
戦後の日本を民主国家として再建するため、国が強く関与する祝日を見直し、
より自由な価値観が浸透しやすい環境を整えよさせようとしました。
三つめが
GHQは、戦前の日本が国家神道と深く結びついていたことを問題視していました。
神道に関する祝日を公の制度から切り離すことで、宗教と政治を分けることを目指したのです。
現在の日本の祝日は
GHQの改革を受けつつも、その後の政治や文化の変化を反映しながら再編されています。たとえば、「紀元節」は「建国記念の日」として形を変えて残り、「明治節」も「文化の日」として存続しています。
その一方で、神嘗祭などは公式な祝日としては復活していませんね。
GHQの改革が日本の価値観や祝日のあり方に影響を与えたことは確かですが、時代とともに新たな解釈が加わり、祝日の意味も少しずつ変化してきています。
GHQが日本の祝日や風習を変えた背景には、戦前の価値観を見直し、新しい時代に適した形へと整える意図がありました。
とはいえ、こうした変化の中でも、日本の文化や伝統はさまざまな形で受け継がれています。祝日の成り立ちを知ることで、日本の歴史や社会の変遷を改めて考えるきっかけになるかもしれませんね。
しかし 何故ここまで GHQは国家の文化かで変えてしまおうと考えたのか???
の
話しは
明日へ続く、、。