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社長&顧問ブログ

2025.8.1

参拝作法

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 日本の神道の話しでした。

 

日本の神道は、明確な教祖や経典を持たずとも、

自然発生的に全国へと広がっていった極めて独自の宗教です。

 

山や川、木や岩など、自然そのものに神が宿るという「八百万の神」の信仰が、

古代日本人の心の奥深くに根づいていたことがその背景にあります。

 

神社は、そうした自然の中で神霊が宿る

「依り代(よりしろ)」を祀る場所として生まれました。

 

最初から立派な社殿があったわけではなく、

岩や巨木、山そのものを神として拝んでいたのが始まりです。

 

そのような信仰の形が、地域ごとに異なりながらも全国に浸透していったのは、

農耕を中心とする共同体の中で

「豊作」や「家内安全」、「悪霊退散」などを願う心が共通していたからであり、

それに伴って自然と祭祀の形も広がっていきました。

 

儀礼としての「二礼二拍手一礼」がいつ整えられたのかという点については、

神道の歴史の中でも重要な転機があります。

それは明治時代に入ってからの国家神道体制の確立です。

 

それ以前、つまり平安時代や中世においては、

神社によって拝礼作法もさまざまであり、

全国的に統一された形式は存在していませんでした。

 

たとえば拍手の回数も、1回、2回、4回など

地域や神社によってバラバラでしたし、

礼の仕方にも明確な決まりはありませんでした。

 

神道はそもそも形式にこだわるものではなく、

「真心」をもって神を敬うことが何より大切とされてきたのです。

 

ところが、明治維新を経て日本が近代国家へと変貌する中で、

国家が宗教に介入する形で神道を統制し、

国家神道として制度化していく動きが出てきました。

 

1871年(明治4年)に神祇官が神祇省となり、

政府主導で神社の整理や階位制度が導入され、

儀式作法も含めて全国的に統一される方向に進んでいきます。

 

その過程で、現在広く知られている「二礼二拍手一礼」という拝礼作法が、

明治政府によって「礼拝の標準」として定められていきました。

 

この形式が全国の神社に広まったのは、

まさに近代国家の整備とともに

「神道を国民道徳の基礎」として位置づけようとした政策の一環だったのです。

 

つまり、現在私たちが神社で当たり前のように行っている

「二礼二拍手一礼」という儀式は、

実は日本の古代から連綿と続くものというより、

明治期以降に整えられた比較的新しい形式だったということです。

 

しかし、この形式が人々に受け入れられ、

今やどの神社でも自然に行われているのは、

やはり日本人の心の中にある

「神様に礼を尽くす」という精神が根強く残っているからでしょう。

 

たとえ形式が後から整えられたものであっても、

その根底にある「神への敬いの心」は古代から変わらず続いているものです。

 

また神道が全国に自然に拡がった理由のひとつには、

権力による布教ではなく、生活に密着した信仰だったという点が挙げられます。

 

村の守り神としての

氏神信仰、稲作の神である稲荷信仰、山の神、海の神、火の神、水の神

といった自然と密接な神々が、日々の暮らしの中で人々に寄り添い、

喜びや悲しみの節目でお祈りをする存在として根づいていったのです。

 

さらに、神道は他宗教に対して排他的ではなく、

仏教や儒教、さらには後世のキリスト教とも

共存しうる柔軟性を持っていたことも、

その広がりを後押ししました。

 

明治期以前には「神仏習合」といって、

神社に仏像が安置され、僧侶が神社の祭祀を司ることさえ普通に行われていたのです。

 

このような寛容性は、日本人の宗教観そのものに表れており、

「正しさ」よりも「調和」や「敬意」が重んじられる文化の中で、

神道は特別な教義がなくとも長く愛され、守られてきたのだと思います。

 

現在では、正月の初詣、七五三、お宮参り、地鎮祭など、

人生の節目で神社を訪れる習慣がごく自然に定着していますが、

これもまさに神道が「生活の宗教」として根づいている証といえるでしょう。

 

形式としての「二礼二拍手一礼」は

明治以降に整えられたものであるとはいえ、

その形式を通して、私たちは日々神様に心を向け、

感謝や願いを捧げることができます。

 

その意味で、古代からの精神と現代の形式が美しく融合したのが

今の神社のあり方であり、神道の姿なのだと言えるのではないでしょうか。

 

神社は私たちにとって特別な場所であり、

時代が移り変わっても、

そこで手を合わせるたびに「神様、ありがとうございます」

と祈る心があれば、

それが本来の神道の姿なのかもしれません。

 

明日は この明治に決められた作法も

GHQによって、、、、、???

 

の話しは

 

明日へ続く、、、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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