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社長&顧問ブログ

2020.9.22

台風が日本を救うことに????

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

昨日までのおさらいを少しさせて頂きますと

 

1853年に 日本にやってきて開港を迫ったこと

それは 自国の領民の安全確保と言うのが一番の理由だったと言う事

そして その時に突き付けた驚くべき要求が

八丈島は米国に帰属するという要求でした。

これに対して 幕府はあれこれ 反論しますが

ペリーは国際法上に認められた文献で 八丈島が日本であるとの

証明が出来ない限り 八丈島は米国に帰属するという

とんでもない要求をするのでした。

これは 日本が長い事鎖国をしていたので 国際的な文献などが有ろうはずが

ないと判断して 突き付けた要求だったのです。

 

しかし これは 奇跡的な連続で 八丈島が日本である事を証明できることになるのですが

 

これには 田沼意次 林子平 桂川甫周と言った方々のご縁があったからだったのです。

 

そして 昨日のシーボルトが 日本に興味を持って ドイツ人であるのに

オランダ軍の軍医として日本を訪れることになるのですが

 

ここで 一つの疑問

 

鎖国をしていた日本の様子はほとんど海外にはしれていなかったはずです。

なのに何故彼は 日本に興味を持ったのか?? 

そして彼が日本に興味を持ち 日本に来て 信用を得て 江戸参府を行えるように

なり その時に産業スパイのような行為を行い 幕府から取り調べを受けたことで

日本は救われると言う 不思議な繋がりへと続くのですが

 

そもそも 何故日本に興味を持ったのか? ですが

 

林子平が幕府から迫害を受け すべての研究所を焼き尽くされるところを 桂川甫周と

言う人が長崎へ持ち込んだことは間違いないのです

当時のオランダ商人は それを オランダへと持って行ってるのです

 

それらの本を 後に どこかで シーボルトは目にすることになる

中身を読むことで 日本に興味を持ったと考えられるのです。

 

なんだ

そんなことで 日本に興味を持つことなんてよくある話ではないか、と

言う方もいると思います。

 

ちょっと待ってください

 

当時は 日本は鎖国の時代です

今の様に 国民があちこちへ旅行や留学をしているわけではないのです。

 

海外に行くことすら許されない時代です。

 

なのに 先ほどオランダに持ち込まれた 三国通覧図説は 日本語で書かれているのです

 

これを訳するためには 日本人がお手伝いをしなければ出来ない事なのです

 

しかし 当時ヨーロッパには日本人はいません

 

では どうやって これらの発禁本を訳して その本を シーボルトが目にすることが出来たのか?

目にしたことで 彼は日本へ興味を持ち 日本へやってくるのです。

 

ここが 非常に摩訶不思議だったのです

 

しかし これを解決する大きな出来事があったのです

 

 

それは

1782年の台風なのです。

 

おいおいちょっと待ってよと

何故 1782年の台風とシーボルトの来日が関係するのか?

 

シーボルトが産まれたのは 1796年です

シーボルトが産まれる14年前の日本での台風が

何故日本に興味を持つことになり そして 日本に来て

更にそこで事件を起こしたことが日本を救うことになるのか?

 

全く関係ないそれぞれの出来事が 一本の線で繋がって行くのです。

 

いったい この台風は どんなおかげをもたらしたのか?

台風には 悲劇がつきものですよね

しかし この悲劇の主人公がやがて英雄になるとは

夢にも思わなかったのです。

 

1782年の台風で

一体何が起きたのか???

 

それは

 

明日へ続く、、。

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