EXECUTIVE BLOG
2022.6.7
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは 色々な縁起モノがあると言う話でした。
しかし 招き猫はあるのに 招き犬は何故無いのか??とか
化け猫と言う話はあるのに 化け犬と言う話は聞いた事がないのは何故なのか?
とか
考えれば考える程興味が湧いてきます。
普段何気なく目に入るモノでも 意味を考えてみると一層興味が湧いてくるものです
6月に入り まもなく梅雨入りの季節になりますね、、。
梅雨入りと言うと 田植えの季節です。
日本人は稲作を中心とした営みを2000年以上続けてきました。
春には豊作を祈り、秋には収穫に感謝する中で生まれた様々な儀式は、形を変えながら人々の生活に定着し、日本の文化として残っていますね。
その一つが日本の国技である相撲なのです。
相撲の源流をたどってみると、稲作と深い関係があることがわかりました。
村ごとに豊作を願い、お祭りを催して神に祈りを捧げる行為は、
弥生時代ごろから始まったと考えられています。
収穫した作物をお供えし、様々な音楽と踊りで喜びと感謝を表現していたのです。
この時
お祭りの儀式として行われていたのが、男たちの取っ組み合いだったのです。
これが相撲の起源と言われています。
「日本書紀」によれば、この取っ組み合いは単なる力くらべでなく、
その年の作物の実りを占うという側面があったそうです。
神の前で競い、その勝敗で神の意志を推し量っていたのです。
その後、時代とともに相撲は形を変えて、
平安時代には宮中の行事となり、
鎌倉時代から戦国時代にかけては武士の訓練の一つだったそうです。
江戸時代には浪人や力自慢の男たちの中から見世物としての相撲を職業とする人が現れ、庶民の大きな娯楽に発展していきました。もともとは屈強な男たちによって豊作を占っていたものが1500年以上も続き、今や日本の国技となっているのです。
力士は土俵で足を上げ下げして四股を踏みますね、、
この所作はもともと大地を力強く踏みしめることで土地から災いを追い払い、
豊作を祈願するものだったのです。
そして相撲でも、
土俵の上で力士が四股を踏むことによって穢れや邪気が払われるとされ
「五穀豊穣・無病息災」の意味を持つと言われています。
土俵に塩をまくのは、その地を清めるために塩をまいた名残だそうなのです。
一つ一つの所作にも 意味があるのですね、、
その意味を考えながらモノを見るのも楽しみになります、
相撲ネタで思い出したのが
江戸時代土佐の人は相撲好きが多かったそうなのです。
先日来 関ヶ原の話を書いていますが
西軍の中でも 最強の藩だと言われていたのが 長宗我部軍でした。
彼の部隊が居る西軍が有利だとも言われていた中 家康の策略によって
東軍が圧勝することになり 長宗我部家も土佐を追われることになったのです。
そして 長宗我部家の後 土佐に入ってきたのが 山内家ですね、
この山内一豊の妻と言えば 内助の功と 言う話が出るくらいの女性で有名ですね、
で どんな内助の功か? と言う話は又別という事で
この山内家 土佐を治めるために 土佐人の大好きな相撲を利用したと言う話があるのです。
しかし 娯楽の為の相撲ではなく 本当に相撲の名を借りた大悲劇が起きたのです。
一体 何が起きたのか??????
この悲惨な話は??????????
明日に続く、、、、。