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社長&顧問ブログ

2024.12.12

国体護持

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは

日独伊三国軍事同盟で 味方であったはずの イタリアに裏切られ

日本に対して 宣戦布告をした上に 戦後賠償まで求めてきたと言う

驚くべき話でした。

 

戦争末期に イタリア国王も逃げ出して 新政府が樹立され

その政権が 連合国の仲間入りしたと言う事です。

 

長い日本の歴史の中で 天皇陛下が逃げ出した事はありませんね

前にも書きましたが

日露戦争の時も バルティック艦隊が日本に来る時、

皇后陛下がロシアが来て 日本が占領され 皇室の命も危ないと感じていた時に

皇后陛下の 夢の中に 坂本龍馬が現れて 「日本は自分が守る」 と言う話が

翌日の東京日日新聞に掲載され 国民が一致団結したと言う話も残っています。

 

実際 東郷平八郎の聯合艦隊の活躍 乃木希典大将による 203高地攻略など

必死の戦いがあって なんとか 日本は破れずに済みました。

 

この時の彼ら軍人 兵士も 国体護持の一心で戦ったと思います。

 

そのくらい 国体を護る 陛下を護ると言う事は 日本人の中に沁み込んでいるのだと思います。

 

そして 太平洋戦争後のポツダム宣言受諾後は その天皇陛下自身が自ら

占領軍最高司令官であるマッカーサーのところへ出向き

自分の命と引き換えにしてでも 国民を助けて欲しいと 言われた時

 

もしかしたら このマッカサーは 国民を置いて逃げ出したイタリア国王との

比較をしたのかもしれません。

 

それで 極東軍事裁判において 天皇陛下への訴追が行われないように動いたのではとも

思ってしまいます。

 

 

現代では、日本は国民主権の国なんだから、天皇中心主義の国体っておかしくない?

と言われるかたも多いかと思います。

結論から言うと、

国民主権という国のあり方と、天皇中心主義は矛盾するものではありません。

 

誰が権力を持つか?という問題と、天皇中心の社会を認めるか?

という問題はまったく別の問題だからだと思います。

 

日本では、昔から「誰が権力を持つか?」についてはいろんな人、勢力が

入れ代わり立ち代わりしてきました。

鎌倉時代には源頼朝が権力を持ちましたし、

江戸時代には徳川家康が権力を持ちました。

同じように、

太平洋戦争が終わってからは国民が選挙で選んだ代表者が権力を持つ、

という仕組みが確立されています。

 

この間、ずっと天皇は存在しています。

 

誰が権力者であっても、天皇を認めるという社会のあり方は続けることができているわけです。

 

源頼朝主権だろうが、徳川家康主権だろうが、国民主権だろうが、

日本では天皇は社会の中心に居続けてきてると言う事になるのです。

 

昔からずっと変わっていない国の形…これはすなわち「国体」ということになると思うのですが

 

 

この話は

 

明日へも続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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