
EXECUTIVE BLOG
2026.2.27
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 二・二六事件の話しでした
今日もその話の続きです、、、。
二・二六事件で決起した青年将校たちは、
「国家を正しい姿に戻す」という言葉を掲げました。
しかしこの言葉は、ただの抽象的な理想ではありませんでした。
彼らの中では、とても具体的な意味を持っていました。
それは「天皇を中心とした、本来あるべき日本の姿に立て直す」という考えでした。
当時の日本は世界恐慌の影響で深刻な不況にあり、
農村は貧しく、多くの家庭が苦しんでいました。
一方で、政党政治家や財閥と呼ばれる大企業の経営者たちは、
自分たちの利益を優先していると見られ、
国民の間には政治への強い不信感が広がっていました。
青年将校たちは、こうした状況を「腐敗」と捉えました。
彼らの目には、政党政治は利権争いの場に映り、
財閥は国民を苦しめる存在に見えていたのです。
特に軍事費を抑えようとした大蔵大臣の高橋是清は、
国家の発展を妨げる人物だと強く批判されました。
青年将校たちは、
こうした政治家や重臣を排除しなければ国は立ち直れないと信じていました。
彼らの思想の中心には「国体」という考えがありました。
国体とは、天皇を中心とする日本独自の国家の形のことです。
彼らは
「本来、日本は天皇が直接国を治める清らかな国であるはずだ」と考えていました。
しかし実際には、
天皇のまわりに政党や元老、財閥がいて政治を動かしていると感じていたのです。
つまり「天皇の名を利用して政治が私物化されている」と見えていたのです。
だからこそ、天皇を取り巻く“悪”を取り除けば、日本は本来の姿に戻ると考えました。
この思想に影響を与えた人物の一人が、
国家改造を主張した思想家の北一輝でした。
彼は既成政党や財閥を排し、強い国家体制を築くべきだと説きました。
青年将校たちはこれを「昭和維新」と呼び、
明治維新のようにもう一度国家を根本から立て直そうとしたのです。
また彼らの多くは地方出身で、故郷の農村の貧しさを身近に見ていました。
娘を身売りに出さざるを得ない家庭もあった時代です。
彼らにとって国家改造とは、単なる権力争いではなく、
苦しむ国民を救うための行動でもありました。
「自分たちは私欲のためではなく、国のため、民のために立ち上がったのだ」
と本気で信じていたのです。
しかし同じ陸軍の中でも考えは分かれていました。
軍の主流だった統制派は、
法や制度の枠の中で軍を強くしていくべきだと考えていました。
クーデターのような急進的な行動は、かえって国家を不安定にすると見ていたのです。
青年将校たちは「理想のためには非常手段もやむを得ない」と考えましたが、
統制派は「軍紀を乱す反乱だ」と判断しました。
決定的だったのは、
昭和天皇が彼らの行動を強く非難したことでした。
青年将校たちは
「天皇は自分たちの真意を理解してくださる」と信じていましたが、
天皇はこれを叛乱と断じ、速やかな鎮圧を命じました。
ここで彼らの理想は崩れ去ります。
結局、青年将校たちが言う「国家を正しい姿に戻す」とは、
天皇が真に国家を統べ、政党や財閥の影響を排し、農村を救い、
国民が一体となる強い国家をつくることでした。
しかしその実現のために選んだ手段が武力による要人殺害であったため、
国家の秩序そのものを揺るがす結果になってしまいました。
理想が純粋であっても、手段が暴力であれば社会は混乱します。
「正しい姿」という言葉は力強く響きますが、
その正しさを誰が決め、どの方法で実現するのかを誤れば、
同じ志を持つ者同士が銃を向け合うことにもなるのです。
二・二六事件は、その重い教訓を今に伝えています。